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なぜ軍人ではなく、政治家が戦争を指導すべきなのか?

プロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780-1831)は軍事学の研究者と見なされていますが、戦争を遂行する上で政治家の立場が優越しなければならないと述べて、つまり戦争の文民統制(もしくは政治統制)の必要性を主張していました。

クラウゼヴィッツによれば、戦争は最も高い地位から眺めると政治そのものになります。平時において国家は外国と文章をやり取りする外交を展開することによって政策を遂行しますが、戦時になると武力によって戦闘を繰り広げることで政策を遂行します。それらの様相はまったく異なったものに見えるので、戦争は軍事的領域、平和は政治的領域と区別したくなるかもしれませんが、クラウゼヴィッツは戦争と平和の違いは表面的なものであり、戦争も政治の道具であることに変わりはないと考えていました。

戦争の本質は政治であると洞察したことは、クラウゼヴィッツの思想の最も重要な要素であり、また彼が現在でも高い評価を受けている理由でもあります。このことはよく知られていますが、クラウゼヴィッツが軍人に戦争指導の決定権を与え、純粋に軍事的な判断から戦争を遂行するような事態を許してはならないとも主張していたことは、第二次世界大戦が終わるまで見落とされてきました。例えば、政府組織が戦争計画を立案する場面で、政府として処置すべきことを軍部が意見することは、不合理な戦争指導に繋がるとクラウゼヴィッツは批判していたのです。

戦争の遂行は軍事技術的に複雑な問題であり、軍人の専門性が重要であることは確かです。そのため、軍事専門的、軍事合理的な判断が軽視され、効率的な作戦の遂行に支障を来すという反論が思いつくかもしれません。実際にプロイセン陸軍の参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケや著名な陸軍軍人だったコルマール・フォン・ゴルツは軍隊の運用に政治当局が干渉すべきではないと主張しました。しかし、クラウゼヴィッツは、このタイプの批判が妥当性を持つのは、政府が戦争遂行のために選択した軍隊の運用が、政府が設定した政治的目的を達成する上で期待された効果をもたらさない場合だけであると指摘しています。

この問題は、政府が目的を達成できる適切な軍事的手段を選択しなおすように軍部が助言するだけで解決できます。その場合でも政府と軍部は対等ではなく、政府が優位に立っていなければなりません。戦争によって達成すべき政治的目的を軍部が再定義できるようになれば、その戦争指導は政治情勢を必ずしも考慮したものではなくなり、戦争それ自体が不合理なものになることをクラウゼヴィッツは警告しました。

政権を握った政治家や官僚などが政策を誤り、不合理な戦争目的を設定することは政治的に考えられる事態ですが、それを是正することは政治当局の責任であって、軍事当局ではありません。そのようなリスクがあるからといって、軍部が政治に干渉することを正当化してもよいと考える理由にはならないというのがクラウゼヴィッツの立場でした。

フランス皇帝となったナポレオン一世のように、一国の最高指導者と軍隊の最高司令官を同一人物が務めている場合は別ですが、別々の人物が政治当局と軍事当局の長を務める場合、クラウゼヴィッツは両者の上下関係を明確化することが、戦争指導において重要だと確信していました。そのため、最終的な戦争の決定を下す立場には文民を置き、軍隊の最高司令官を内閣の一員として加える体制が望ましいと提案しています。これは現代の文民統制の仕組みに理論的な根拠を与える議論だといえます。

このクラウゼヴィッツの議論は現代の政治学の研究でも参考にされています。例えば、アメリカの政治学者のサミュエル・ハンチントンは、近代的軍事制度における職業軍人の責務を政治制度の視点で分析しています。それによると、軍人の責務は国家の安全保障に最低限必要な軍事的能力を政府に知らせる代表的機能、国家の行動が軍事的に持つ意味を分析して報告する助言的機能、そして国家の軍事的決定を実行する執行的機能の3つであり、軍部の責任が限定されていることが分かります(出典である『軍人と国家』に関してはいかに国家は軍隊をコントロールすべきなのか?『軍人と国家』の書評を参照)。

参考文献

クラウゼヴィッツ『戦争論』全3巻、篠田英雄訳、岩波書店、1968年
ハンチントン著『軍人と国家』全2巻、市川良一訳、原書房、2008年

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