「本当の自分」や「嘘の自分」なんてモノはあるのかな?
先日の「本音」についてとも関連しますが、「本当の自分」とか「嘘の自分」みたいな表現は、危うさを含んでもいると感じることがあります。
「自分に嘘をつく」という表現と「嘘の自分」という表現の間には、結構な深さの溝があるのかもしれません。
自分が「嘘の自分だ」と位置付けた自分だって、純度100%混じり気なく嘘で満たされているわけではないはず。そんな自分を全部が嘘だと切り捨てると、結局は「自己否定」になるんじゃないかと思うのです。
同じように「本当の自分」が存在すると思うということは、裏を返せば「本当ではない自分」を存在させてしまうことになります。
しかしその「本当でない自分」もまた、純度100%混じり気なく「本当でない」なんてこと自体がありえないのではないかと思ったりするんですよね。
「使う言葉」によって「自分の認識」は引っ張られると感じています。「嘘の自分」や「本当の自分」といった言葉を使うことで、結局のところ自己否定してしまっているとしたら、これは危ういことですよね。
「心地悪い」みたいな状態を「嘘」とまで表現するのは、もしかすると行き過ぎなのかもしれませんね。そう表現することで、言葉の指すものに自分の認識が引っ張られているとしたら、少し気をつけた方がよいかもなぁと思うのです。
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