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【読書感想】伊坂幸太郎『フーガはユーガ』

2021/11/11、読了。

伊坂幸太郎『フーガはユーガ』

最後に感想を書いたのが、2020/07/23だから、1年以上ぶりにしっかりと本を読んだことになる。しかも、1年前と同じ伊坂幸太郎。私も原点回帰ってことなんでしょう。

優我という青年がファミレスで自分の生い立ちや双子の弟・風我との「入れ替わり」の話をしている所から始まる。

もしかして本当はひとりで超能力は嘘なんじゃないか、などと疑りながら読み始める。

「この人何かしら後で関わってきそう」とか「このアイテム思わせぶりだ。絶対に何かある」と探りながら読み進めたが、何となく本質を見誤りそうで、「考える」から「感じる」に全振りして読むことにした。

「細けえところは後でズバッと気持ちよくさせてくれる! それが伊坂幸太郎なんだ!」と勢いよく読んだ。
一年前に『火星に住むつもりかい?』を読んで「私の好きな伊坂幸太郎はもういない」と読書をやめてしまった人間と同じとは思えない。年を取ると色んなこと忘れてしまえていい。

伊坂さんが書く、虐待を受けている子供を救わない話ってのが好きだ。『一人では無理がある』という短編で、サンタクロースが鎖で繋がれている子に工具をプレゼントする話なんかはそれに当たる。

救わないけど、救われるように「何か」を送る。

その「何か」が、今作ではもう一人の自分である「双子」という存在と、入れ替われるという「能力」なのだと思う。

ただ、伊坂幸太郎の小説では大人という立場の人間は救ってくれないので、自分たちで救われるしかない。それはとても辛いことだけど、現実でもある。私は大人だし、助けたいと思うけど、過酷な人生の渦中にある子供がどこに居るかも分からない。

この物語には、小玉という女の子が出てくる。この小玉も過酷な状況の子なのだが、それを知った優我はこう思う。

「小玉の方がよっぽど過酷な状況だとは、想像もしていなかった。僕たちは二人だが、彼女は一人で、ひたすら耐えているだけだったわけだ」

優我には風我いる。風我には優我がいた。

互いの存在は、生き抜くのにとても大きかったと思う。



私は、誰もこの手で救い出せない。
だからと言って、惨い扱いをされている子供のことを考えていないわけではない。
ニュースで見る度に、何もできなかったと自分の無力さに打ち拉がれたり、自責の念に苛まれたりする。それに何の意味のないことも分かってる。分かっていても落ち込む。

私はその延長にこの小説があると思っている。

乗り越えられる「なにか」を与えたいと思う大人がこの小説を書いた。私はそれを思うと泣いてしまうし、同時に警策で背中を打たれたようにもなる。

私もそうありたいと思っていたはずなのに、日々の生活の中で薄くなっていた。

優我や風我や小玉に、いつ出会うか分からない。案外すぐ近くにいるのかもしれない。
「変身」して戦えるくらいには、覚悟した大人でありたいと思う。




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