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プレゼン資料と茶道具の奇妙な関係

プレゼン資料は「ていねい」に作ってほしい

最近、幾つかの会議でプレゼンを見ていて、
「丁寧な資料」はそのメッセージが深く伝わるが、
「華美な資料・雑な資料」は頭に入ってこない、
ということに気づいた話。

まず、華美と丁寧を勘違いしているケースが多い。
丁寧というのは「時間をかけて手の込んだ仕掛けをする」ということではない。

丁寧な資料/仕事というのは、
見る人(客人)の気持ちを事前に察し、
そのうえで、その会に合わせた色合いを選び、
端・段落のずれ、誤字脱字などの「見る側のストレス要因」を完璧に排除し、
伝えたいメッセージにのみフォーカスが自然に向くよう仕立てるものだ。

茶道とプレゼン資料/会議の邂逅

面白いことに、先日、たまたま茶道家の方のお話しを聞いていて、
茶道の考え方(特に侘茶)は、上記の思想の源流だな、と感じた。
(下記VOOX参照)

https://voox.me/episodes/13309710-45b5-455c-a3bc-4660a37d3a33/

茶道に詳しいわけでもなんでもないのだが、
特に亭主が茶道具をその会のためだけに選び、会全体をプロデュースする際の「一期一会」の思想と邂逅したのだ。

その中で下記の言葉が実に的確に資料の在り方を示していると思った

"茶道具というのは、その姿が美しくても、使い勝手が悪くては適いません"

まず、言葉の使い方がきれいすぎて、私もこんな言葉を自然に使えるようになれたら、もっと人生豊かなんだろうな、とか思いましたが、、

本質は「見た目の美しさ」も重要だが、使う人(客人)が使う瞬間にしっかりと思いを馳せて、使うときに要らん脳負荷を与えないことこそ、
客人に伝えたい「美しさ」に全集中してもらう秘訣なのでしょう。

結論は「引き算の美学」

日本人の「引き算の美学」は本当に美しい。

是非、皆さんも、プレゼン資料をやっつけ仕事にせず、
一旦完成してから、引き算(専門的にはエントロピーの最小化)を行い、
会議参加者(客人)をもてなすミーティング(茶会)をプロデュースしてみてはいかがでしょうか?

きっと、日々の作業がよりクリエイティブなものになり、
参加者や自身の緊張感がほぐれ、深くメッセージが伝わることでしょう。

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