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【詭弁の話術】詭弁とハサミは使いよう

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆

〜気軽に読む詭弁エッセイ〜

最近、論理や詭弁に関する本が面白くちょくちょく読んでいるのだが、本書はかなりくだけた内容であった。

詭弁を論理的に分析する、というよりも「詭弁に関するエッセイ」として読んだ方が良い。1974年、約半世紀前に刊行された本なので、今の時代にはそぐわない表現も多々見られるが、詭弁として使われる手法(!?)は最近の詭弁や論理に関する本と比べても大きく変わらない。
そもそも、ギリシャ哲学が詭弁とともに発達しているのだから、論理の問題はそうそう大きくは変わらないのだろう。


〜詭弁は悪いとは言えない〜

さてさて、詭弁、というものは今の論理的思考がもてはやされる世の中においては、やたらと忌み嫌われている。
少しでも論理的に不備があったり辻褄が合わないことがあれば、すぐに攻撃の対象となる。

しかし、以前に読んだ「論より詭弁」にも書かれていたが、人が何かを他人に伝える時には、そこに悪意がなく故意でなくとも、いくばくかの詭弁は含まれているものである。本書においても、詭弁というものは、決して"良いもの"ではないが、"悪いもの"として扱ってはいない。
何か自分の意思や意見を伝える時には何かしらの詭弁は、ほぼ間違いなく含まれているものだ。


〜詭弁がどうか、以前に…〜

こうなると、誰かと話をする時に、重箱の隅をつつくように相手の話の詭弁となる部分を必死に探すようなことは、あまり大きな意味は持たないだろう。
たしかに、詭弁を見抜く能力は身につけるべきだが、気にすべきはそれが詭弁かどうかではなく、そこに悪意があるのかどうかなのだと思う。

本書によれば、詭弁はある意味ジョークのようなものでもある。あえて詭弁を用いることで、その場は笑いを含んだコミュニケーションの場になるし、ちょっとした詭弁は相手を良い気分にすることだってある。
単なるコミュニケーションの場で用いられた詭弁に対して「今のは詭弁だ!」となじる者がいれば、相当しらけてしまう。
こちらが分かりやすくジョークのつもりで言った詭弁に対して、鬼の首をとったように攻め立ててくるような者は、もう今後相手にしなくてもいい、ぐらいだ。

自分が損をしたり不利益をしないために、詭弁かどうかを注意深く判断する必要があるのは、何か重大な決断をする時だ。相手の言葉に詭弁が含まれており、かつ、自分を陥れるためのものかどうか。詭弁を攻撃する前に、空気を読めなくてはいけない。

「論より詭弁」でも書かれているが、何でもかんでも論理的に考えても、人生は全く楽しくない。詭弁かどうかをめざとく見つけるよりも、その場が一体どういう場なのか、空気を読む力がまず必要なのだ。

詭弁は使いようによっては面白い。
詭弁は使いようによっては敵を作る。
詭弁を見抜く力も使いようによっては面白いし、敵を作ることになる。

とりあえず、ユーモアに溢れた本書を読んで、人の言葉尻を取ることに必死になるような人や何かと揚げ足とって「論破」にこだわるような人を鼻で笑えるようになれば、それは人生が楽しくなる一歩なのではないかと思う。

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