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団塊ジュニア世代が見てきた東京メンズファッション30年史16

エピローグ

繰り返しながら変わり続ける

ここまでざっと30年の東京メンズファッションを振り返ってみる。
 
1990年代後半
・イタリアブランド人気/グッチ、プラダ、ドルチェ&ガッバーナ、アルマーニ
・裏原ムーブメント/ア・ベイシング・エイプ、ネイバーフッド、ソフ
・シルバーアクセブーム/クロムハーツ、ガボール、ゴローズ
 
2000年代前半
・プレミアムジーンズの世界的流行/リーバイス・レッド、セブン、アールジーンズ
・モードなロックスタイルが世界的にブレイク/ディオール・オム、ナンバーナイン
・新しいスタイルのショップ/伊勢丹メンズ館、コルソ・コモ、セリュックス
 
2000年代後半
・海外高級ブランドのリノベーション/バレンシアガ、ボッテガ・ヴェネタ、ランバン、バーバリー
・恵比寿・代官山の独立系ブランドの勃興/マスターマインド・ジャパン、アタッチメント、ファクトタム
・ファストファッションの台頭/ZARA、H&M、ユニクロ
 
2010年代前半
・ネオ・アメトラブーム/トム・ブラウン、ラルフ・ローレン、ブルックス・ブラザーズ
・ノームコアとベーシック回帰/ニューバランス、パラブーツ、A.P.C.
・サードウェーブ系男子の登場/コーヒー、ヒゲ、メガネ、ピストバイク
・中目黒の独立系ブランドの躍進/ビズビム、ワコマリア、ノンネイティブ
 
2010年代後半
・アスレジャースタイルの普及/ナイキ、オフホワイト
・悪趣味なモードの復権/グッチとバレンシアガのブレイク
・ストリートとモードの融合/ルイ・ヴィトン、シュプリーム、バレンシアガ、グッチ
・アウトドアの復権/ザ・ノースフェイス、パタゴニア、スノーピーク

どのデザイナーも10年以内に辞任する

よくよく年代を見直すと、イタリアブランド全盛時代を象徴するグッチのトム・フォード在任期間は1994年から2004年の10年で、エディ・スリマンがイヴ・サンローラン・リブゴーシュを含め、ディオール・オムを手がけた期間も1997年から2007年の10年。どんな花形デザイナーであっても同じブランドにとどまり続けられるのは10年が限度だ。だから、デムナもそろそろ賞味期限切れになると予想できるし、22年にミケーレはグッチを退いた。
 
ファッション・コングロマリットの傘下のブランドは、デザイナーがコロコロ変わることが常態化し、一貫したブランドイメージを保つことはできなくなった。ウィメンズでは比較的安定感のあるディオールとプラダを別とすれば、バレンシアガ、ロエベ、セリーヌ、フェンディ、サンローラン、ボッテガ・ヴェネタ、ジバンシィなどは、今後もその評価と人気が乱高下するだろう。その点で、資本的な独立を維持しながら真にラグジュアリーと呼べるハイブランドは、エルメスとシャネルくらいしかない。あえて自分たちのスタイルを変えずに独立性を保持しているハイブランドという点では、ジョルジオ・アルマーニ、ドルチェ&ガッバーナ、ヴァレンティノ、ラルフ・ローレン、バーバリーがここに加えられる。こうしたラグジュアリーブランドとは別に、先鋭的なクリエイションとビジネスが両立したデザイナーズブランドを考えるとやはりコム・デ・ギャルソンは異質であり、傑出した存在であることが分かる。
 
デザイナー主導による上から下へのトレンドに対して、裏原ブランドからシュプリームまでのストリートブランドによる下から上へのトレンドが世界を変えるまで、ほぼ30年の歳月が費やされた。その原動力となったのが藤原ヒロシであり、東京から発信されていたことは忘れてはならない。次から次へとシーズン毎に消費されるマーケティング主導のトレンドと、アンダーグラウンドからじっくりと時間をかけて広まるトレンドとでは時間軸が異なる。そして、ストリートスタイルが世界的なものと認められ、マーケティングに呑み込まれてしまった今は、次なる大きな波が見当たらないのが実情だ。

ファッションは常にカルチャーから引用する

あれこれとラグジュアリーブランドやデザイナーズの動きを自分なりに整理したが、結局のところファッションは資本主義の象徴的存在であり、繰り返される“計画的な陳腐化”がその原動力となってきた。アンチ・ファッションであるストリートがモードの最先端になるという現象は、1990年代まではロックミュージック、2000年代はダンスミュージック、2010年代はヒップホップからの引用によって行われた。感性の優れた人には±5年の誤差があることは断っておこう。
 
改めて考え直すと、ファッションが引用してきたカウンターカルチャーこそが、姿と形を変えながら繰り返されてきたことに気付かされた。カナダ人の哲学者ジョセフ・ヒースとジャーナリストのアンドルー・ポターによる共著『反逆の神話』(2021年:早川書房)を引用しながらこのことを整理する。本書は50年代のビートニク、60〜70年代のロック、80年代のパンクとニューウェーブ、90年代のグランジ、00年代以降のヒップホップといった、他人とは違う生き方を望んだ反体制派の若者たちが支持したカウンターカルチャーを取り上げ、そこへ批判的な視点で疑問を投げかける。
 
「カウンターカルチャーの反逆––「主流」社会の規範の拒絶––は大きな差異のものとなった。個人主義が尊ばれ、順応が見下される社会では、「反逆者」であることは新たなあこがれの種類となる。(中略)カウンターカルチャーの様式は非常に排他的なものとして始まる。それは「アンダーグラウンド」になっていく。独特のシンボル––愛の象徴のビーズネックレス、安全ピン、ブランドの靴やジーンズ、マオリ族のタトゥー、ボディピアス、車の車外マフラーなど––は「通人」の間のコミュニケーションの核心となる。だが、時の経過にしたがって、そうした「通人」の輪は広がっていき、シンボルは一般化する。必然的に、これらの標識が与える差異はすり減っていく。(中略)このように、カウンターカルチャーは絶えずモデルチェンジをしつづけることになる。これこそ反逆者が、ファッションに敏感な人がブランドをどんどん取り替えるのと同じくらい速く、スタイルを選んでは捨てる理由である」
 
ここでいう通人とはもちろんヒップスターのことである。このカウンターカルチャーの担い手たちは、主流派に対して異議申し立てをしていたつもりだったが、実際のところは差異を生み出しながら、競争的な消費を煽ってきたに過ぎないのだとヒースとアンドルーは語る。それゆえカウンターカルチャーを絶えず引用してきたファッションもまた、他人との差異を生み出したい人々の欲求に応えるための格好の売り物でしかないのだ。ドクターマーチンのブーツはまさにその典型だ。ビートニクもヒッピーもパンクもヒップホップも、結局のところ社会を変えた訳ではなく、新しいヒップスターとトレンドを生み出し、その姿と形を変えながら再生産してきた。そして2022年を迎え、ロック、パンク、ニューウェーブ、グランジ、ヒップホップという音楽からの引用は全て完了し、次に引用すべきカウンターカルチャーを見出せない状況になっている。エモラップやグライムなどヒップホップから派生した新しいスタイルはあるものの、いずれも打ち上げ花火的で長続きしそうにない。モードに取り込まれたストリートスタイルですら、もはや飽きられる始めている。

平和があるからファッションが成立する

本著は2001年から2021年の20年間のファッションを題材にしたが、9.11NY同時多発テロ、イラク戦争、リーマンショック、3.11東日本大震災、パリで相次いだテロ、GAFAに代表されるビックテックの独占、COVID-19によるパンデックと次々と世界を揺さぶる事件や災害が相次いだ。そんなことに思いを馳せていたら、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってしまった。まさかこんなことが現実になるとは予想できなかったが、あまりの惨状に呆然としてしまう。チェチェンやアフガニスタンで起きていたことをよくよく考えれば東西冷戦後にも散発的な局地戦闘はあったし、湾岸戦争やイラク戦争など、常に戦争は世界にあった。ただ、今回はヨーロッパで起こったこともあり全世界が注目し、毎日のように街が瓦礫になっていく様子がテレビに映し出されている。
 
こうした中で、LVMH、ケリング、リシュモンといったファッション・コングロマリットが、ロシアでの営業活動をストップしてウクライナ支持を宣言し、多くのブランドやファッション関連企業もそれに従った。さらに移民問題など世界的な課題にも取り組むバレンシアガのデムナは、いち早くランウェイショーでウクライナ支持を鮮明に打ち出した。安全圏からどんな正論を掲げても戦争は止まらないが、何もやらないよりもやる偽善の方がいいと私も思う。そもそも強欲資本主義の象徴でもある高級ブランドが、社会体制が全く異なる専制的国家のロシアで大きな売上を計上してきたこと自体に矛盾と倫理的な問題があるし、名ばかりの資本主義体制を採っている中国でも、数年後には知的財産権などをきっかけに大きなトラブルが起こるかもしれない。

あとがきにかえて

平成を通じて、新宿・渋谷・六本木といった歓楽街から、アルコールやニコチン臭を漂わせるクラブやバーが徐々に排除され、令和には清潔で快適な街へと変貌を遂げた。コロナ禍となってからは、酔っ払いの喧嘩やゴロツキたちの乱痴気騒ぎを見ることはほとんどなくなり、夜の街は寂しいものとなった。相変わらず、昼間の原宿や表参道には若者たちが押し寄せているが、いわゆる青文字系と呼ばれた個性的なファッションで競い合うようなタイプは激減した。全ては変わり続けて、昔と同じまま残っている場所はもはやごく僅かだ。最近は昭和レトロや80年代の歌謡曲が、若者たちの間で再評価されているのは興味深い兆候だが、記憶のない世代にとって過去は未来でもあるのだろう。
 
カウンターカルチャーの担い手のひとりだという勝手な自覚を持って、バンド活動をしながらファッションに関わる仕事を選んできた私自身だが、“計画的な陳腐化”が人々を動かし続けてきたことが身に染みて理解できたし、自分自身もその中に組み込まれていたことを実感している。一人の赤ん坊が生まれて成人するまでの20年間をひとつの区切りとすれば、我々の世代が見てきた風景も、00年代生まれの彼らにとっては新しい風景に見えているから。もちろん厳密に同じことを繰り返している訳ではないが、やはりファッションは繰り返す。2001年のプレミアムジーンズブームを思い出させる、2021年のY2Kデニムと称したブームはまさに象徴的だ。そんなこじらせ中年の記憶が次の世代に伝わり、何かしらの気付きを得てくれたらこれほど嬉しいことはない。最後まで目を通していただいたすべての方に感謝。

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