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動き出せない。先延ばし癖の真理。

何かに取り組もうとしても、手も足も出ないときがある。

勉強だったり、仕事だったり、何なら遊びでさえも、切り出すことができない。

と、いうことがある人は結構いるのではないだろうか。

僕もそうだ。どうも先伸ばしにしようとする癖がどこかにあるようで、

部屋の掃除のような軽めのものから、
新しい仕事探しのような重要なものまで、

早く取り掛かったほうがいいと分かっていても、それができない。

腕や足に重りでもついているのかと思えるくらい動くことができず、

何もしないまま一日が終わってしまい、何でもっと動けないのかと思うことがよくある。

やりたいことや、やらなくてはいけないことがあるのに動けない人にはいろいろなタイプがあるだろうが、

動けないことに後悔して、自分を責めてしまうような人は、

めんどくさがり、というタイプではたぶんない。

不安なのだ。心配なのだ。

やりたいことや、やらなくてはいけないことが、本当に上手くできるのか。

それは本当に自分のためになるのか。ただ無駄になるだけではないのか。

失敗したらどうしよう。失敗したらその先はどうなってしまうのだろう。

未来のことばかりが頭の中に浮かんで、不安や心配で埋め尽くされてしまう。

そうなると、手につくものもつかなくなる。
その不安や心配をどうにかするほうに意識がいってしまうのだ。

それをどうにかするには、とにかく「今」に集中するしかない。

禅の極意というものを聞いたことがある。
それは、

「飯を食べるときは飯を食べ、水を飲むときは水を飲み、歩くときは歩く」

何だか当たり前のようだが、多くの人はこれができていないとのこと。

食べるときに別のことを考え、水を飲むときに別のことを考え、歩くときに別のことを考えている。まったく今ここに心がない、と禅僧は言っていた。

これなのだろう。勉強するときは勉強する。仕事をするときは仕事をする。

その結果を考えない。1分先のことも考えず、ただ今に集中する。今やれることをやる。

それだけなのだ。今できることをやるしかない。それは損ではないのか、もっと上手いやり方があるのではないのか、

そういうことは今考えることではない。

ただ今に在る。それだけを考えよう。

ただここで言っておきたいのは、未来を考えること自体は悪いことではない、ということだ。

先のことを考えすぎて、不安になったり、心配になったりするのは、

考え方によっては、その人は想像力が豊かだと言える。

ただ、使い方を誤っているのだ。

一般的な人の想像力を普通自動車と例えると、その人の想像力はF1カーである。

しかし、日常の一般道でF1カーなんて走らせようものなら、絶対にその性能を引き出すことはできない。

むしろ、軽自動車よりも役に立たないだろう。

F1カーにはF1カーの走る場所があるのだ。

心が強い人や弱い人がいるのではなく、心の使いどころが間違っている人が大勢いるのだと思う。

心に自分が使われるようではだめだ。
自分が心を使うようにしなくてはいけない。

そんのできるのかな?と先のことを心配しそうになるだろう。
そんな時こそ、今に集中するのだ。

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