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朝の河川敷、過ぎる日

朝5:30に目を冷ます。同居人とふたり昨日の16時からぶっ通しで眠っていたようで、起き抜けのぼうとした頭のまま、同居人は「寝るのたのしかったねぇ」とにこやかにしている。寝るのがたのしいって何とおもいながら、確かにたのしい感じがあった。心地よさの先のたのしさ。気温は20度。数ヶ月ぶりに長袖に腕を通す。部屋ではフジファブリックの『花』が流れている。もう長いこと半袖で暮らしていたから、久しぶりの長袖の感覚に心底ほっとする。

せっかく早起きしたので朝ごはんを外で食べようということになり、ホットコーヒーを同居人が、ホットサンドをわたしがつくる。ホットサンドの中身はゴーダチーズとハーブソーセージと刻んだ玉ねぎにマヨネーズとブラックペッパー。多分読まないだろうけど、お守りのように本をカバンに忍ばせるのはいつものこと。今日は『超個人的時間旅行』を。

歩いて5分の河川敷に腰をおろし、持ってきたホットサンドとホットコーヒーを片手に水面を眺めていると、釣り人がひとり、またひとりと増えていき、頭のなかでは工藤裕次郎の『ゴーゴー魚釣り』が流れる。

「300日の悲しみ忘れ釣り糸垂らす」

深緑の葉と濃い青空が水面に映り、垂らされる釣り糸からはぽちゃぽちゃと波紋の輪。隣では「今まで食べたホットサンドの中でいちばん美味しい」と、“一番”という言葉を日々よくつかう同居人がわたしの最後の一口をねらっているけど、今日はあげない。船を担いだひとたちが通り過ぎ、サイクリングの自転車が過ぎ、脚を小刻みに早く動かしているのになかなか前に進まない小型犬の散歩が過ぎ、河の向こうに白鷺が2匹それぞれ反対側を向いてすっすっと脚を前に出して過ぎる。こうしている間にもきっと誰かが目を覚ましている。一秒、一秒、過ぎていく。

「サンドイッチ変なところから齧ってるなんの未来も選べないまま」

ホットサンドを齧りながら、すでに一度読んでしまった『超個人的時間旅行』のなかの堀静香さんのエッセイがやっぱりとてもよかったことを考えている。歌集がもうすぐ出るらしく、とてもたのしみ。帰り道の道路には黒猫に似たカラスが座っていた。

最近、2時間以上つづけて眠れない日が続いていて、たぶんコーヒーや紅茶の飲み過ぎと自宅仕事で身体が疲れないことが原因のような気がしていたので、久しぶりにオフィス出社をした次の日、長時間眠れたことが嬉しかった。それにしても13時間半は寝過ぎ。

社長に呼び出され、昇進することが決まり嬉しいと同時にこれ以上わたしはしごとをするのかと思う。ほんとうにそれでいいのか。過ぎる日々のなか、この10年ほとんどの時間をしごとをして生きてきた。きっとみんなそうかもしれないけど。できるだけ働かずに生きる、なんてことを考えたり、でもそう、それが何になるのか。時間ができたって、多分別にやりたいことなど本当にはなにもない。

そんな後ろ向きな気持ちのまま、評価されることに形だけは嬉しくなって、それほど深刻じゃない悩みを抱えて今日も明日の仕事の段取りを考えている。作ることはすき。仕事はきらい。誰にも褒めてもらわなくていいから、自分が自分のために作るものをもっと増やすことがこころの平穏のために必要だと、美術館めぐり用のノートを新たに買った。どこまでもどこまでも、アウトプットで癒そうとする。めんどうくさいけど、たのしいことはきっと自分のため。きっと。そう言ってまたSNSに投稿して、本当は褒めてもらいたかったのだと気づくのだろう。見えている、そこまでの自分のこころ。と、わかっているふりでひとり恥ずかしくなる。

帰ってくると、シピはリビングの椅子に座って眠っていたようで、起こしたなという顔でこちらを見ていた。ただいま。

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