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眩しがりやが見た光

神戸の塩屋という街、海の側の坂を上がったところにある、グッゲンハイム邸へ敬愛する人の音楽を聴きに行ってきた。

本と昼寝のいつも通りの休日の予定だったのだけど、昼寝から目覚めて、ぼーっとしていると、急遽、マヒトゥ・ザ・ピーポーの弾き語りLIVEがグッゲンハイム邸でやるのだと知る。
行く?行く!と二つ返事で行くことに。

電車の道中は、罪と罰を読む。あれ、なんだ自分が思っていたよりもすっと内容が入ってくるぞとわくわくしていたところで、「本を読むのをやめて、景色を見て」と言われたので、ふ、と顔を上げると、車窓にうつる神戸の街。
ぴー太はこの街に、いつか住みたいらしい。

塩屋へは、神戸から20分。電車を降りると、海の見える景色が広がる。
踏切の黄色とのコントラストが美しい。

グッゲンハイム邸は駅から歩いてすぐ、少し坂を上がったあたりにある。

急遽やることが決まったらしい、当日券のみの40〜80人だけ入ることのできるLIVE。

去年から今年にかけて、おそらく一番聴いている音楽だし、今のわたしを一番救う音楽をする人なのだから、どんな態度で、どんな風に聴きに行けばいいのだろうと内心どきどきしながら。

並び始めた庭園の中、声が聴こえて振り返ると、庭園のあたりをうろうろ歩きながらリハをするマヒトのいつもどおりの真っ赤な姿。ときおり館の窓から海を見つめる姿。
こんなに近くに普通にいる……とドギマギしているのに、並ぶ他のお客さんはみんな静かだ。
同じ心境なのだろうか、それともマヒトのLIVEでは普通の光景なのだろうか。

LIVEへ行くといつも感じる。
わたしの一部になるほど聴く音楽。わたしを救う音楽をしている人たちが、同じ時代を生き、同じ空気を吸って、同じ空間にいることの不思議にくらくらする。

館と庭園を行ったり来たりしながら歌う姿。マイクが設置されたステージを何度も離れるので、声が小さく聴こえたりする。何も通さない、生のそのままの声とギターの音がかすかに聞こえる。
海の近くの踏切の音、電車が通過する音、赤ちゃんの泣く音、蝉の鳴く音、いろんな音がして、暑くてときどき風がふいて。

音が聴こえにくいかもしれないけど、大きい小さいなんてさ、どうでもいいことだからねと、話すマヒト。

この確かな肌触りを、温度を、音を、記憶を忘れない。わたしはそう強く思いながら、ぼろぼろと泣いた。

「言葉も音楽も芸術も、その行き着く先はどうか幸福であってほしい」
マヒトの著書『ひかりぼっち』の中の文章を思い出す。幸せになりたい。

出かけるのは苦手だし、思い立ってすぐ行動するのもめんどうくさい。夏の眩しさも暑さも苦手だ。でも、こんな光に出会えるのならば、出かけても良い。
今日はいい日だ、本当にいい日だ。そう言いながら帰った。

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