心は弱くて当たり前じゃない?

昨日、多くの人の関心を向けたニュース。

そのニュースを見てから、私がずっと感んじていたことを沙波さんがnoteで代弁してくれているようだったので、リンクを載せておきます。

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今回のような一件は、これまでにもあった。

その度に、SNSで顔が見えないのをいいことに、
匿名であることをいいことに、
素性を隠せることをいいことに、
目の前にその人がいたならきっと口にできないような言葉を、彼ら/彼女らに向けることの危険性に、
皆が警鐘を鳴らし、その被害を悲しむ。

その人が生きていた時は、たいして話題にしなかったのに。

「死」をもってせねば、その被害に心を痛めない人が多いことが悲しくなったりする。

かくいう私だって、普段は誰がネットで誹謗中傷にあっているのかを巡回している訳ではないし、その都度そうした声に怒ることができているわけじゃない。
「触れぬが仏」という態度をとってしまうことだってあって、内省して、ひどく落ち込んでしまう。

ただ、私も含めてきっと1ヶ月も経てば、今回の一件の反省を活かさず、またどこかで誰かが、誰かに心ない言葉を画面越しに打ち込むんだよ。

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ニュースを受けて、多くの人が自分の考えを140字でまとめていた。

「そんな人たちに叩かれたくらいで、気を落とすなんて勿体無い」
「心の弱い人を叩くなんて、、、、」
「強い人こそ声を上げねば」
「画面の奥にも人がいることを忘れないで」
「誹謗中傷が嫌ならSNSはやるな」

どれも一理ある意見なのかもしれない。けど、あんまり私にはわからなかった。「理解はできるけど、共感はできない」のわからない。

今回の一件は、SNSを利用する人たちの人権意識の低さだけが問題だったんだろうか。

どこまでが”作り物”で、どこまでが”本物”なのかはわからないけど、ああいうリアリティー番組と呼ばれるもののコンテンツの形に問題はなかったんだろうか。

人の私生活を切り売りして、消費することに問題はなかったんだろうか。

こうした被害を取り締まれるはずの、SNS運営側に責任はなかったんだろうか。

誹謗中傷の受け取り方に、心の弱さとか強さなんて関係あるんだろううか。

心が弱いことはそんなに悪いことなのだろうか。

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心なんてみんな弱いでしょ。

心なんて、その強度が定量的に測れる訳でもない。

あくまでも、認識や認知に波があるだけ。

だから、強い時や、弱い時、見て見ぬ振りができる時、心の痛みを無視仕切れない時、心に温もりが溢れる時、心に冷たいものしか流れ込んで来ない時、そんな色んな「認識や認知」の状態があるから、いまだに占いに行っちゃう人も、SNSで繋がりを確認する人も、SNSから消えてしまう人もいるんじゃないだろうか。

「メンヘラ」と第三者のことを呼ぶのはあまり好きじゃない。

自分で発するそれや、目の前にいる相手が自分の口で発したそれはTPOによっては受容できる。しかし、第三者が使う「メンヘラ」という言葉には、「心を強く保てない人が悪い」みたいな、「そういう人はロクでもない人間だ」みたいな、そんな侮蔑に似たニュアンスを感じるから好まない。

今回の一件をきっかけに、SNSの使い方を自省することももちろん大事。

ただ、今回の一件をきっかけに、人の心はいかに脆いのか、だから、心のケアも体のケアと同じぐらい気軽にアクセスできるもので、重要度の高いことだという認識が浸透してほしい。そして、社会全体の雰囲気も変化していけたらいいな、と現在進行形で鬱の治療中の私は思いました。


最後に。

私自身、今でも時たまひどい自殺念慮に襲われます。
そして、その度に大好きな人たちにたくさん「ストップ!!」をかけてもらえてきた。
そのおかげで、こうして毎日noteを書けている。
だから、そんな大好きな人たちのもしもの時には、私がストッパーになれたらいいなって思うんです。

ストッパーになれるために何をすればいいのか分からないから、とりあえずはこうやって自分の病気のことや思い悩んでメンタルがやられてるな〜ていう時の文章も全部そのまま垂れ流しています。

そうすることで、少しでも「私になら話してみてもいいかも」て「私になら相談できるかも」てそう思ってくれたら嬉しいです。

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