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【感想文】復活(上巻)/トルストイ

『キャバクラ慕情』

キャバクラなんかに行くと、隣のボックス席に座っているおじさんがホステスに対して「何で君みたいな子がこの店で働いてるの?」とか「こんな仕事いつまで続けるつもりなの?」とか「俺が女だったら水商売はキツそうだからやりたくないけどね」「もっと自分を大切にしなきゃ」「もっといい仕事みつけなよ」「接客が好きなら営業職なんてどう?」等々、上から目線で説教じみた発言を耳にする機会がたまにある。なぜ、おじさんはこんなデリカシーの無い発言をするのか。そしてこの発言を受けたホステスの心境はどういったものか。

その答えは本書『復活(上巻)』に詳しい。

▼動物的で精神的な人間について

本書第一編第十四章によると、多くの人間はその内面に両義性があるとしており、それは、

<<他人のためにも幸福となるような幸福しか自分に求めない精神的な人間>>
<<自分のためだけに幸福を追求し、その幸福のためには全世界の幸福を犠牲にすることも平気な動物的な人間>>


との事であり、ネフリュードフは「動物的な人間」、つまり己の肉欲を満たそうとかつての恋仲であったカチューシャに対し一方的な性的関係を結ぶと共に、彼女の人生までをも狂わせてしまう。その後、ある事件を境にしてネフリュードフは「動物的な人間」→「精神的な人間」へと改心した上で、過去の罪を償うべく再びカチューシャの元に現れるのだが彼女の反応はというと、<<男を見て、いやらしい、誘惑するような、みじめな微笑を浮かべた>> のだという(※第一編第四十三章)。

その理由は、直後の第四十四章において、

<<例外なくすべての男の最大の幸福は、魅力的な女性と性的交渉を持つことなのだ、― 中略 ― ただそれだけを望んでいる。ところが自分は ――魅力のある女で ――男たちの欲求を満たしてやることも満たしてやらないこともできる、だから自分は重要で必要な人間なのだ。>>

という人生観だからであり、つまりカチューシャはネフリュードフとは反対に「精神的な人間」→「動物的な人間」へと一変していたのである。両義性が極端化して水と油の様になってしまった関係では、ネフリュードフの発言がカチューシャに響かないのは当然の話である。

▼説教おじさんの目的/説教されたホステスの心境

この結果を踏まえると、説教おじさんとはネフリュードフの様な存在であり、ホステスとはカチューシャの様な存在である。だってそうだろう、精神的な説教おじさんはキャバクラを動物的な商売とみなし、そんな窮地に身を落としたホステスを救おうと勝手に判断し、感想文冒頭で述べた発言を繰り返しているに過ぎないのだから。で、一方のホステスからしてみれば「うっせーんだよジジイ!さっさと金もってこい金金金!」が本心であり、でもそれを当事者に言ってしまうとせっかくの金ヅルを逃してしまうハメになるため、第四十四章のカチューシャと同様に <<彼女はネフリュードフに誘惑するような微笑を見せ>> そして <<人生での自分の意義を失わないために>> プロに徹して追加のシャンパンをねだるのである。

といったことを考えながら、なんかイマイチ説得力に欠ける気がしてきたので別の例を挙げると、昨今の日本では「パパ活」なるものが流行っており ――以下省略――

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