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パーフェクトデイズ(2023) 覚え書き

劇中五回ほど出てくる白黒の夢のシークエンスはスパイス・ドリーム*並みにぶっ飛んでいて、主人公ヒラヤマ**覚醒時のシミュレートされた21世紀東京のOZU映画的なリアリティーと対峙している。 *スパイス・ドリーム。SF小説「デューン」に出てくる予知夢。 **平山は、小津安二郎の「東京物語」、「彼岸花」、「秋刀魚の味」での主人公の名字だ。主に笠智衆が演じた。 踊る浮浪者(これは主人公の幻想かもしれない)。知的障害の少年、金髪の女性と共に非現実とのボーダーラインを形成している。

    • David Lynch's Hotel Room (1993)

      Just in case you missed this beautiful hidden gem from David Lynch, I found a couple of copies floating around on youtube. Only three episodes were produced for HBO and the series was cancelled as soon as it was aired. Lynch had a similar a

      • John Boorman’s “The Emerald Forest (1985)”

        Watching “The Emerald Forest”, continuing John Boorman Marathon. I showed ’Exorcist II” to my son. He described it as “dessociative” which made me realize that the early Boorman films also share the same quality with the juxtapositions of s

        • ニホンノオモカゲ

          円城塔氏の往年の黒丸尚師匠のサイバーパンクの訳書の様なラフカディオ・ハーン翁のKWAIDANの意訳に触発され、原書を読み終えた。記号論的な表象の帝国ジャポン。NHKの『日本の面影』で翁に興味を持ったことを思い出した。故伊丹十三監督も俳優として出ている。 日本の面影① https://youtu.be/_W0okuiQxLM ドラマでは壇ふみが演じる妻が語る怪談をハーンの外国語としての日本語のフィルターを通して再解釈されたエクリチュールとしての怪談。文化人類学という学問の中

        パーフェクトデイズ(2023) 覚え書き

          ジョン・ブアマンのエクソシスト2

          ジョン・ブアマンのエクソシスト2が最近再評価されている。嬉しい。アフリカでの悪魔(とバッタの大群)との戦いのシーンが秀逸だ。このモンド的異世界性は後年のエメラルド・フォーレストにも通じる。ミニチュアで作った崖と崖の間を這い上る人々の描写がシュールだ。 音楽がモリコーネで無駄に贅沢なのも良い。主題曲「リーガンのテーマ」は何故か後でタランティーノの映画、ヘイトフル・エイトで使われていた。この他人の映画を乗っ取る感じ、ポスト・モダンだ。庵野秀之の「さよならジュピター」の主題歌リサ

          ジョン・ブアマンのエクソシスト2

          Brandon Cronenberg’s Infinity Pool

          Brandon Cronenberg may be now on par with his father in a certain way. ‘Infinity Pool’ was decidedly different from his last films. In a way, it was more main stream*. It was more auteur. It was less scifi except Cloning theme was reminisce

          Brandon Cronenberg’s Infinity Pool

          ゲージュツは爆発だ

          TAROMAN最終回。ラスボスはやはり太陽の塔。昭和後期に生まれた僕らの世代には進歩と郷愁を同時に感じさせるレトロ・フューチャーの象徴。#おっさんホイホイ https://youtu.be/ONcDWfTzm9M (前編) https://youtu.be/uL_KA0gmBn0 (後編) [TAROMAN]最終回後編、最後の引用は岡本太郎の著書「自分の中に毒を持て」より。「人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。それで良いのだ。無目的に膨らみ、輝いて、最後に爆発

          ダサいYMO、「過激な淑女」と「禁句」、1983年の夏

          ところで昨日はYMOの「過激な淑女」発売39周年だったそうだが(1983年7月27日発売)、当時中2だった僕は発売日に近所のダイエーでシングル版を購入、小脇に抱えて出口を出ると傍を横切った女子学生数名に「ダセー」と言われたのを覚えている。当時YMOファンであることとアニメ・ファンであることはあまり格好良くなかった。「YMOと書いてなんと読む。イモだ。(スネークマン・ショー)」の世界だ。 ところで「過激な淑女」は細野晴臣がもともと中森明菜のために書いた曲だ。なんらかの理由

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          Ryuichi Sakamoto B-2 Units Live (1982)

          この録音は貴重である。YouTubeにアップされたのも確か2回目。1982年当時NHKのサウンド・ストリートの一環で公開収録されました。 抽選にはずれこそはしたが、中1のぼくはラジオの前にかじりつき、いつもより奮発したTDKのクローム・テープで番組をエア・チェック(ラジオ番組を高音質で録音すること)。 以後しばらくウォークマンでテープがすり切れるまで聴いたものでした。 坂本龍一のセカンド・アルバムと同じバンド名、B-2 Units。ただしバンド名は複数形のユニッツ。1981年リリースのアルバム、B-2 Unitは、XTCアンディー・パートリッジ・プロデュースによるロンドン録音でした。 バンド一番の話題は、当時初のソロアルバム「H」が出るか出ないかの頃の元プラスチックス、ギター担当の立花ハジメ。ソプラノ・サックスが初々しい。タイトル曲「H」では、教授が自らドラムを叩く。この後ニューウェーブ界隈で話題になる鈴木慶一の元妻、鈴木さえ子もドラムで参加している。 テクノデリックと浮気のぼくらの合間で、ブラス・セクションの入った生バンドでテクノ以外の可能性を模索する試みが新鮮でありました。 観客から赤ちゃんの鳴き声が聞こえたり、アンチ(?)の人たちが鳴らす爆竹が聞こえたりするのもご愛嬌だ。夜ヒットや、戦メリ、ひょうきん族で国民的中年アイドルになる寸前のとんがった教授の姿が目に映るようです。 白眉は後でハジメのHmにも収録される「Arrangement」とYMOのBGM収録の「Happy End」(後ろでシャカシャカ鳴っているのはハジメの自作楽器アルプス一号)。 1984年に教授のソロ、「音楽図鑑」に入るレプリカの原曲も入っています(二曲目、Demo 4)。 Playlist: 1 Foto Musik 2 Demo 4 (Replica) 3 The Arrangement 4 Happy End 5 Thatness Thereness 6 Demo 6 7 H 8 Robin’s Eye View of Conversation 9 Piano Pillows 10 Saru To Yuki To Gomi No Kodomo 11 Dance 12 Epilogue 13 In E

          Ryuichi Sakamoto B-2 Units Live (1982)

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          プロトの輩

          もう何十年も帰っていない故郷の新杉戸駅には友達の他所くんが迎えにきてくれていた。 僕の家族がはじめてこの街に越してきた半世紀前からある、駅前の泉書房がまだあった。書店のおばさんが僕のことを覚えているらしい。他所くんのドローン車の中でもう一人の旧友と一緒に、今ある近所の本屋の話になった。出版不景気の中で、本屋は今でも立ち読み者の憩いの場になっているのであろうか。 ドローン車は直接両親の住むマンション(今では光輝く尖塔の群れになっている)には向かわず、裏道のハイウェイを音もな

          奇書との遭遇①:ドグラ・マグラ、桂枝雀と1988年

          高校時代、熱々の風呂の中で、何度ものぼせて意識が朦朧としながら、夢野久作のドグラ・マグラを読んだのを覚えている。 同じ頃、布団の中で蛍光灯の灯りで読んだのはガルシア・マルケスの百年の孤独。活字が小さく、睡魔に襲われ、文字がぐるぐる眼の前を踊り出し、意識がなくなるまで、毎晩読んだものである。 1988年に作られたドグラ・マグラの映画には正木博士役で桂枝雀が出ているが、20世紀の終わりに自殺未遂から意識が戻らず他界している。 桂枝雀といえば笑える古典落語で一世を風靡したもの

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          音楽評論・デビッド・ボウイのOutside(1995)

          デビッド・リンチの映画、ロスト・ハイウェイ(1997)で使われたデビッド・ボウイのI’m Derangedは昔から好きな曲だ。 シンプルで軽めのジャングル・ビート(当時UKではやっていた)に断片的なピアノと、おそらくブライアン・イーノのアンビエントなシンセ、そしてその上で喘ぐようなボウイのクルーナー・ヴォイスがかぶさる。(映画の導入部ではボウイのアカペラからはじまる。) ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーの編纂した同映画のサントラはリンチ映画の中でも屈指の音響空間を創り出している。2010年代以降、レズナーは映画音楽を多くこなすようになるが、この作品はその先駆けともいえる。 Derangedの入っているボウイのアルバムOutsideは映画の二年前の1995年にブライアン・イーノによるプロデュースで発表された。 デビッド・リンチのツイン・ピークスに触発されたフィルム・ノアールなナレティヴ(物語)が歌詞に散りばめられている。 Outsideはニュージャージー州の架空の街、オックスフォードが舞台、ネイソン・アルダー捜査官が、十四歳の少女、ベイビー・グレースの殺人事件を追いかける。容疑者は謎のアウトサイド・アーチスト、リオン・ブランク… Outsideという題名はOutside Artも意識しているのだろうか。ティモシー・レアリーのOutside, Looking Inという名言も思い起こされる。 Outside Artは精神病者のアートである。無意識の中で、受け手のことをいっさい想定せずに創り出したされる芸術だ。無垢の心(純粋な邪悪性も含めて)が紡ぐ原初のアートだ。 ボウイは映画版のツイン・ピークス(ローラ・パーマー最期の7日間)にジェフリー捜査官としてもカミオ出演している。

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          映画批評・ゴッド・アーミー/復讐の天使(1998)

          『ゴッド・アーミー/復讐の天使』(原題:The Prophecy II) ゴッド・アーミー/復讐の天使は傑作だ。一作目のミルトンの失楽園的ホラーにベルリン・天使の詩的なヒューマン・タッチを加え、凄くいい。特にアジア系大天使ダニエルと恋に落ちるジェニファー・ビールスが愛おしい。自殺狂のぶっ飛んだティーンエージャーを演じる故ブリットニー・マーフィーがいい味出している。「ゴッド・アーミー」シリーズはキャスティングが白眉である。大天使ガブリエル役の主演クリストファー・ウォーケンは言

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          映画批評・ザ・ノースマン

          The Northman (2022) The Northmanを見た。Robert EggersはThe WitchやThe Lighthouseの監督だ。前二作の北米ニューイングランド的なゴシックの延長で、今回はアイスランディックなバイキングの話でミュージシャンのビヨーグもシャーマンの役で出てくる。 北欧的なペーガンでヘレティックなところはAri AsterのMidsommerにも似ていた。Eggers監督の全作品に言えることであるが、観客を異世界に誘うビジュアル的な

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          The Great Statue of Buddha is Blind

          “The great statue of Buddha is blind. It requires a surgery,” Mr. Hosono in a brown suits proclaimed and showed us a dissection diagram of the statue’s eyeball. The diagram showed how the black iris part of eyeball was constructed with laye

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          権左衛門伝

          権左衛門は右頬に大きな痣があった。それは天保五年の大火事の時にできた。木材に挟まれて身動きできない七歳の孤児を助けたのがその後育ての親となった木偶坊の勘助。普段は橋の袂でぼうっとしている川原こじきのひとりであるが、何を隠そう元は伊賀の抜け忍とも言われ、鎖鎌、鉤縄のつかいに長け、権左衛門も見よう見まねで十五になる頃には昼は川原の大道芸、夜は勘助の貰い受けてきた仕置仕事をこなすまでになっていた。 師走の夜のことであった。いつもの辻にはここのところ目にしなかった蕎麦の屋台が立って