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はあちゅうさんのVoicyを聴いて考えた多様な愛のあり方

もうだいぶ前のことだけど、voicyのランキング上位を聞き流していたときに耳に入ってきた、はあちゅうさんのvoicy「番外編、コメントおこたえ」がものすごく良い内容だったので、そこから考えたことを含めて書きたい。

voicyの内容は、恋のお悩み相談にはあちゅうさんがこたえるものだった。

ある女性から寄せられた相談は、「彼氏がうつ病で亡くなった元奥さんのことを忘れられないのだが、それをどう捉え、どう接したらいいものか?」といったもの。

これに対するはあちゅうさんの答えは、自分がふんわり考えていたこととリンクするもので、いろいろと考えさせられた。

はあちゅうさんは、いまでも元カレのことが好きだけど、その思いは旦那さんへの好きという気持ちとは別モノだから「その好きを比べたりはしない」と言う。

「お母さんとお父さん、どっちが好きなの?いちばんを選んで」と言われても答えられないように、「種類が違うものに序列は付けられない」からだ、と。

そして、「好きに序列があるという思い込みは捨てていいと思う」と説く。

だから、「亡くなった人に勝とうとかは絶対に思わないでほしい」「好きは勝ち負けじゃないからね」とも話していた。

好きは勝ち負けじゃない……なるほど、素敵な言葉だと思った。

相談者に対する誠実かつ説得力のある回答だなあと感嘆すると同時に、この相談者に限らず多くの人にとって意義のある考え方だと思った。

 「好きに序列があるという思い込みは捨てていいと思う」

これはすごくインパクトのある言葉だ。「!!!!!!!!」という感じ。

というのも、私たち人間はよく「自分がその人にとっていちばんではないと嫌だ」と思う。嫉妬という感情を抱く。そして、その前提には「好きには序列がある」という考えがある。

だから、「母親と父親に対する愛は異なる」「種類の異なる好きがある」というのはあたり前のことのようで、すごく大切なことだと思った。

そこから、「嫉妬を生まない関係性」にある前提条件が見えてくる。

その条件とは、子どもにとっての父親と母親はそれぞれ異なる役割を果たしていて、かつ、父親と母親との関係性においてお互いを承認していることではないか。

これは、ポリアモリーとか不倫とか離婚とかアセクシュアルとか家族のかたちとか嫉妬とかそういったことを考えるうえで、頭に入れておくべきことだと思った。

以前、AbemaTVにある家族が出演していた。子どもがいる夫婦なのだが、奥さんには夫のほかに彼氏がいたり、まったくの他人だった子連れシングルマザーと同居していたり、ちょっと特殊な家族だった。概要は下記記事にまとまっている。

私は、このように固定観念に囚われずに、自分自身とお互いの幸せを考えられる家族のかたちは素敵だと思った。

だけど、その夫婦に対する他の出演者の反応は批判的なものだった。「結婚して子どももいるのに、セックスをするために彼氏をつくるのはわがままじゃないか」「そんな関係性では子どもが可哀想じゃないか」という。

もちろん、お互いにそういった認識をもっている夫婦であれば、お互いの幸せのためにその倫理を守ったほうがいいと思う。

だけど、この夫婦はそういった価値観とは別の価値観を持っていた。旦那さんは、奥さんとの関係は親友のようなもので、子育てのパートナーとして一緒に暮らしているけど、奥さんに彼氏がいても良いと言う。奥さんもまた、自分にとっての「夫」と「彼氏」の存在意義は別モノと考えている。

にもかかわらず、自分たちにとっての幸せの価値観を、この夫婦にも押し付けるような出演者の反応に私は嫌気が差した。

「子どもが可哀想」「わがまま」

ほんとにそうだろうか?この夫婦は仲がよいと言っているし、お互いの自由や欲望を尊重しつつ、自分のことも大切にしているように私には思える。奥さんの彼氏さんも、シングルマザーのお母さんも、子どもたちも、みんながみんなのことを好きだというとき、子どもは不幸せといえるだろうか?自分の自由や欲望を放棄して我慢して子育てすることが良い親の条件なのだろうか?

もしかすると子どもが、自分の家族のかたちについて、嫌だなと思うこともあるかもしれない。だけど、子どもが嫌だと思うのは、そうした家族のかたちを可笑しいと非難する社会の空気を感じたときではないだろうか?

「こうあるべき」という自分たちの持っている価値観に対して、もっと自覚的になって、その枠から外に出て物事を捉えてみる、という試みも必要なのではないだろうか。

恐らく出演者の中には、「恋人と夫(あるいは子ども)どっちが大事なの?」みたいな問いや、「付き合っている相手が自分と同じ性別の人を好きになることが許せない」という感情があったのだろう。

だけど、それらには「好きには序列がある」という前提があるように思う。

もちろん、そういった考え方のほうが一般的だろうし、私もそう思っていた。だけど、それを自分以外の他者にも一様に当てはめてはいけないと思う。

「好きにはいろんな種類がある」「違う種類の好きには序列はつけられない」という考え方は、私たちの前提にある考え方を問い直す言葉だ。

そして、いろんな関係性を肯定する言葉のようにも感じられた。



花を買って生活に彩りを…