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改めて感じた江戸の魅力

旅行記が好きなので、そうゆう本を中心に紹介文書こうと思っていたのだけど、どうも最近、江戸に引っ張られている。

浮世絵や落語、歌舞伎などの文化が花開き、蕎麦、寿司、うなぎ、天ぷらなどの食文化がつくられた江戸時代。人々は季節や自然を愛でながら人間らしく生きていた、というイメージ。

しかし、例えば長屋暮らしの高齢者はどうやって生活していたのだろう?とか、病気になってお金のない人はどうしていたのだろう?奉公はどのくらい厳しかったの?とか、現実的なことがすごく知りたくて、『人間らしく生きるなら江戸庶民の知恵に学べ』(淡野史良著)という中古本を手にとった。

読んでみた感想は、「やっぱり江戸はすごい」だった。教育と福祉が町単位で機能としてほぼ整っているのだ。

老人や孤児は町で面倒を見る

武家や商家などでは跡取りがいないということはあり得なかったから、主人は50歳くらいに隠居して、もしも体が不自由になったりしても面倒を見てくれる人には困らなかっただろう。でも、例えば、長屋でひとりぐらしをしている老人なんかはどうやって生きていたのだろうと疑問に思っていた。

同書によれば、長屋の住民たちが老人の面倒をみていたそうだ。順番に料理を運んだり、介護をしたり。大家は、長屋の者に協力を促すほか、どうしても困ったことになれば幕府の小石川療養所へ通院、もしくは入院させた。小石川療養所は1722年に設置された国立病院で定員や入院は最大8か月という期限はあるものの、入院すれば治療代や食事代は無料だったそうだ。

ちなみに、賃貸住まいの庶民がお金を出すことはほとんどなくて、あくまでも介護や食事の面倒をみるだけ。また、老人だけでなく、親を亡くした子や捨て子も町ぐるみで面倒をみる。町を運営する、商家などの地主たちが金を出しあって、長屋の住民が世話をして、数年から10年育てるそうだ。

弱いものの面倒を見ることは、自然と町の義務になっていて、裕福な者が金を出し、その他のものは明日は我が身と、できるときに面倒をみるというシステムが徹底されていたよう。餓死者がでれば、町奉行からお咎めがあるし、隣町から「あの町は老人を見放した」なんてことになりかねなかったのだろう。

また、面白いのが、老人には老人の、子供には子供の仕事があること。「糊屋」は売り切れになっても大した金額にはならなかったそうだが、元手やそう体力も使わずにできたため老女の仕事だった。子供はしじみ売り。江戸の町に流れる川でしじみが採れたため、親のいない子や親が病気の子の仕事というルールが自然とできていて、売れば町中で買ってくれて売れ残ることがなかったそうだ。

格安で学べる寺子屋も教育のレベルが高かったし、何百年も昔に皆で助け合うのが当たり前で孤児や老人が生きていける仕組みができていたのだ。まぁ、江戸時代に限らず、実は古来から人間は地域のコミニュティごとに助け合ってきたのかもしれないけど。だた、寺子屋が一般的になったことや100万人規模の都市でこのシステムが維持されていたのは特筆すべきことだ。

江戸に失業がなかった?

江戸にはほぼ無数の仕事があって、働く気さえあれば、仕事にありつけないということはあり得なかった。驚いたのは、以下のように、行商の数が数えきれないほどあること。

 現代と大きくちがうのは、職業がひじょうに細分化、零細化されていたことで、それが失業が少なかった理由でもある。
 たとえば一年のうち四月に市中を天秤棒をかついで商う者だけでも、
 新茶売り、胡瓜売り、空豆売り、鰹売り、飛び魚売り、漬け梅売り、苗売り、菅笠売り、柏葉売り、自然薯売り、干鱈売り、鯛売り、干し鰒売り、給馬(甘い練り物)売り、麦こがし売り、白玉餅売り、くだり(地黄煎入りの飴)売り、筍売り、孟宗竹売り、辛皮売り
(村田了阿『市隠月令』)
と、この一か月の間だけでも二○種類もの新手の行商人が登場する。

現代人の感覚からすると、魚は魚でまとめて売ればいいのでは?と思ってしまうけど、冷蔵庫などがないため、鰹などなるべく早く売らなくてはいけないものと、鯛のように部位ごとに切り分けたり値段交渉したりながらで売るのに時間がかかるものとがあるなど、扱うものごとに売り方が違うため行商人は基本的には単品で売り歩いていたそうだ。

食べ物以外にも、植物売りや虫売り、リサイクルが盛んだったため、紙屑やボロ買い、古鉄買い、提灯の張り替え、下駄の歯入れなどから、蝋燭の蝋を集める蝋買い、灰を集める灰買いなどの業者など、やはり数えきれないほど。なんと、落ちている髪の毛を集める仕事まであったのだとか!

また、ちょっとした技能を仕事にすることもできて、耳かき職人みたいな人もいたんだとか。この本には書いてないけど、洗濯や子守り(主に若い女の仕事)もよくある仕事だった。

奉公には2種類あった

雇われて働く奉公には2種類あった「年季奉公」は、契約期間などはないが、賃金をもらったり、管理職についたりするのに年数がかかる修行のような働き方。6年前後奉公した5人のうち1人くらい残っていればいいと言う感じで厳しく修行させたのだとか。

また職業斡旋業者では、長期の奉公人とは別で雇用期間が定められた一定期間の奉公人の斡旋も行っていた。この場合はおそらく給金はもらえるようだけど雇用期間が一年とか半年と短く、契約が延長されるかは雇用主しだいのため、働く方が落ち着かない。この奉公のスタイルは現代の派遣のような働き方だ。

奉公人に関しては結構厳しい状況が伺える。しかし、町を運営するための「町入用(ちょうにゅうよう)」という費用を出していたのは地主であり、奉公人を雇っている商家。孤児など弱者の面倒をみたりするのに、金を出しているのも同じ。町のために一定の金を出し続ける責務もあり、商売や跡取りのために多少厳しくすることも当然だったのかもしれない。

ちなみに、賃貸住まいの庶民は町を運営する町入用の支払いがない代わりに、町役人を選ぶ権利などがなかったそうで、要は金持ちしか政治に参加ができなかったという人もいる。それでも、むしろ政治に参加できる人のほうが少なかったわけだし、例えば、長屋が焼けてしまっても町入用と、場合によっては幕府の補助で一円も出さずに新たな住まいに入れるなど、どちらかというと恩恵のほうが大きかったのではないだろうか。

それに町を運営するのは実質金持ちなのに、例えば弱者を切り捨てて自分たちだけが儲けるような方向に向かわなかったのがすごい。町の中では助け合いの精神がきちんと息づいていた証拠だと思う。多くの人が江戸に魅力を感じるのは、恐らく、こうゆうところなのだ。

今回読んだ本は、中古しかないのが残念。

例えば、町入用(ちょうにゅうよう)についてなど細かいことが書いてないのが少し物足りない気もしたけど、江戸のリサイクルシステムから仕事、食、おしゃれから恋愛、結婚、町の仕組みまで包括的にかかれていて、良い本だった。

余談だけど、丁寧に解説している良書なのだが、

 江戸っ子が魚をどういうふうに食べたがったかも興味深いが、それとは別に、ふだん宵越しの金を持ったことがない江戸っ子が大金を手にすると、完全に舞い上がって後先を考えずに使わないではいられなくなっている。今いい目にあえばいいという生き方で明日のことまで考えない。

とか、

 江戸の庶民は祭囃子を稽古する音が聞こえると、心がうきたって落ち着いていられなかった。

とか、ときおり、すごい冷静に江戸っ子を見ている文章があって、そこがちょっと面白かった(笑)。

中古ならAmazonで買えます。




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