見出し画像

白昼夢の2次創作を経験して、涼宮ハルヒの消失について思うこと。

上映から13年以上経ちますが、未だに「涼宮ハルヒの消失」を超えるアニメ映画はないと思っています。瞬間最大没入度とか、視聴中の心の揺れ方といった評価軸次第では上に来る作品が他にありましたが、総合点では今なおナンバーワンです。

些末なことですが、ハルヒがキョンの覚醒に気付くや否や、寝袋から飛び出すついでに髪を整えるというこの演出は、さすが京アニだよな、と思わずにいられませんでした。
森博嗣先生の小説でも、剣の先生が山籠りをしていた侍を家に招き入れる際に「足を洗ってください。」と指摘するシーンがありますが、そういう絶対当たり前に行われているはずの行為を落とさずに描写するセンスは、本当に好きです。

逆に、とあるアニメでは、地べた(河原)に体育座りをしていた女の子が立ち上がったとき、お尻の砂を払う仕草がなかったんですけど、「いや、それはないでしょ。」と残念な気持ちになりました。しかも白のワンピースですよ?絶対ないです。

先日まで自分が書いていた白昼夢の青写真の2次創作でも、最初は嫌というほど行為描写(そんな言葉あるのかな。)を入れてました。
例えば9話冒頭の有島は、目が覚めて時刻を確認したあと、急にシェイクスピアの訳本に目がいったことになっていますが、嫌な目覚めをしたときって、まずは横になったまま深呼吸したりしませんか?気持ちを落ち着かせるために。
それでも、嫌な何かはいつまでも頭の中をぐるぐるしてる。
その時の有島は、祥子との現実、今後について考えてるわけです。だから、「このままでいいのか、いけないのか。」を問うた、シェイクスピアの訳本が目に止まると。無意識のうちに見たいものだけが視界に入ってる状態です。
最初はそうした状況を細かく描写していましたが、読みやすさやテンポと比較して、行為描写に優先順位を置く人もいないだろうと思い、そのあたりはばっさりとカットしました。
他にも、削った行為描写は結構あります。その描写に、描写したこと以上の意味を含められず、ボリュームバランスが悪かったからです。

先述の件も、映像だったら、有島に一度目をつぶらせて深呼吸させたあと、1秒くらいの間をおいて本棚を見遣ればそれでオッケーなんですけどね。程度問題ですが、文字にするとうるさいですね。文章と映像の違いだなと思いました。

話は戻りますが、このハルヒが髪を整えるシーンも、現場では「shirobako」の水島努監督よろしく、

「髪を整えるシーン、いりますか?この状況でそんな余裕ありますか?」
「いやー、ハルヒも女の子なんだから、髪は整えるよね。」
「でも普通、髪を整えるんなら後ろを向くんじゃない?」
「いやいや、ハルヒはそんなこと気にしない子だよ。」

みたいな熱い議論があったはずです。たぶん。
何にせよ、作り手の技術もセンスも情熱も矜持も伝わる作品というのは、見てて楽しいし、何度も繰り返し見たくなります。

そうこうしてるうちに、「響け!ユーフォニアム」の劇場版の上映期間が終わってしまいそうです。うっかりしていました。
アニメ2期では5分くらい台詞もなく、ひたすら演奏風景を描写することに徹するというシーンがありましたが、「自分たちはそれだけでも勝負できる」という強烈な信念を感じました。最高にかっこよかったです。

あの事件を経た京アニでもきっと、すごいものを見せてくれると信じています。どうでもいいですが、ユーフォニアムって昔、ユーフォニウムって呼ばれてませんでした?私の地元だけ?ほんと、どうでもいいんですけど。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?