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じぶん・この不思議な存在

今更ながら、少々自分のことを。

高校1年生だった2004年、現代文の授業の課題図書で、講談社現代新書に収められている鷲田清一著『じぶん・この不思議な存在』(1996年初版発行)を読んだ。

当時は講談社現代新書の装幀がリニューアルされる前だったので、杉浦康平デザインのモダンなカバーを身にまとっていた。

平たく言えば、「一番近くにいる『じぶん』だが、私は『じぶん』を見ることはできず、他者を通じて見ることしかできない」という「自己ー他者」論を分かりやすく解説した著作だ(手元にあるかと思いきや見当たらなかったので、記憶に頼っている)。

なんとも恐ろしいことに、過去の記録を漁っていたら、本を読んだ翌年、「人生に影響を与えた本」といったようなテーマで書いたと思しき作文を発見した。恥を承知で掲載してみたい。

この本を読むまで、私は将来どのような道に進みたいのかというような希望すらなかった。
しかし、この本に出会ったおかげで、「自己と他者」ということに大いに興味を持つことができた。そして、将来はそういったことを考えていく学問を修めようと思うようになった。そういう意味で、この本は「私の人生に大きな衝撃を与えた本」なのである。

いかんせん、17歳の高校2年生が書いたものなので、青臭い。そして拙い。
だがその分、想いがストレートに表わされているかもしれない。

「将来はそういったことを考えていく学問を修めよう」と思った少年はその後、文学部に進学することとなる。一時は心理学を専攻しようとも思ったが、初心にかえって西洋哲学を専攻。卒業論文ではエマニュエル・レヴィナスを扱った。

それ以来、自分なりに紆余曲折はありながらも、「哲学する心」は忘れないで来たつもりだ。
そんなわけで今は、「生きる=考える」と「働く=食い扶持を稼ぐ」がどうしたら折り合うのか、模索する日々を過ごしている。

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