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新しい時代のサービスを妄想してみる-前編-

今後、人口減少が進む社会にあってはもしかしたら年金は70→75くらいまでに引き上げられるかもしれないし、人手が圧倒的に足りなくなり賃金の問題も取りざたされる介護職はもしかしたら強制に近い形で誰もが従事しなければいけなくなる時代が来るかもしれません。

介護離職や人手不足からダブルワークが当たり前になった時、あるいは定年退職後に、年金の支給年齢の引き下げや、他職業に比べても年金に上乗せされる額を上げるなど、あの手この手で介護の人手を埋める施策は生み出されていきそうです。

一方若者や街を巡るサービスはどうなるでしょうか?例えば高齢者が多くなれば沿革のショッピングモールではなく近場の商店需要が再び注目されるようになるかもしれません。首都圏や大都市圏ではいずれ介護で医療崩壊(商業中心の街づくりをしてきたため、医者の数もベッドの数も足りず、往診にも何時間も待たされる)の懸念もあり、いち早く高齢化の危機に直面し、尚且つ車社会に依存しきっていない地方都市の需要は高くなるとも言われています。いわゆるコンパクトシティ構想ですね。

地元の静岡県で言えばバブル景気に合わせて道を拡張しそれがゆえに中心地の空洞化と四方をショッピングモールに囲まれてしまった浜松と、地元の商店の反対や単純に予算の問題などから郊外への道がそこまで開かれず、郊外にショッピングモールを進出させなかったことで駅前が生きている静岡市がわかり安い対比かもしれません(こんなこと言ってますが、当方、一応静岡県西部の在住です…)しかし、現実には静岡市の方でより人口の流出が深刻になっており、政令指定都市のボーダーとなる70万都市を切る可能性も指摘されています。

今回のコロナ禍でシンボルのような存在だった駅前の大型書店が閉店、長年の市内の顔の一つだったマルイも二棟あるビルの片側は閉めてしまい実質撤退するよう。個人的に東京と名古屋を結ぶ中間のエリアで中心地が「生きている」静岡市にはあるべき未来のコンパクトシティや首都圏からの退避先としての地方都市の理想的な形として期待しているだけに最近は残念なニュースも多いのです。

特に書店などは一定の人口を抱えたエリアで本当は一定の割合で存在してないとマズい存在ではないかとも言われています。電子化がより主流になったらそれと書店が併存できる形で維持できないかと思っていたりも。例えばディスプレイで閲覧できるような形にして、気に入ったらそのままkindleストアなど大手サイトに直で繋がり購入できるようなデイバスなど…。かつてネット黎明期では既存の雑誌文化などが語る「常識」や「分かりやすいカタログ」をあえてネット原住民が斬る、というカウンター的な風潮があった気がするのですが

そういう「常識」なり「カタログ」的な前提を提示していたのが書店が支えた教養や雑誌文化だったとも思うのですね。また隣接するジャンルの雑誌なり本が隣に並んでいることで近いジャンルの情報にも手を伸ばして触れることができる。いきなりネットの短い記事や時世を切り取った情報に触れて、あるいは1冊まるまるの電子書籍を入り口にしても、そういう前提がどんどん崩れて言ってしまう気がするのです。現にネットで多く見られるブログやまとめサイトではそういう前提とされる「核」のような情報はどんどん見つけづらくなり、amazonなどが紹介する「おすすめ」はあくまでその人個人のパーソナルな履歴に紐づけられてしまい、偶発的に知識が深められたり、横へ展開する余地が薄くなっている気がするのです。月並みな意見ですがw

あるエリアに一定数いる「知識人」や「マニア」ができる素地を摘んでしまうような懸念がある。既にそういう文化に一定数触れている20,30代以降はともかく、どんどんそういうものに触れる場所がなくなっている20代以下がいて…「商店街」や「小売り」もまたアップデートされる必要があるのではないか。と思っています。長くなるので次回に分けます。

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