ゆるしを乞う許し

誰かを求めたり、何かを求めたり。そんなのは当たり前のこと。私だって何かを望んでいるのだろうけれど、どうにも自分にはそれが許せない。
自分に許せないことを他人がしているから、目障りに感じるのでしょうね。
私だって、愛されたいし、ゆるされたい。
でも、そんなこと、許されないでしょう?

私にしたいことなんてないのですよ。
あなたがいれば。あなたの言葉があれば。
私にはそれで充分だ、と。
そう思うけれど。
でも、どうしても欲が出てしまう。
もっと、と思ってしまう。
離れたくない、傍にいてほしい。
変わらないでいてほしい。
絶対でいてほしい。永遠であってほしい。
私からわたしを奪ってほしい。
そして、何者でもないわたしを、愛してほしい。

どうしようもない生活を続けている私を許してください。それでも生きていることを許してください。
そして、私をゆるしてください。
そうされて初めて、私は自分を振り返ることができるはず。

いつかのように、そっと抱き締めてくれたら。そうやって、ふたりでひとつになれたら。そうしたら、私はわたしでいなくてすむでしょう?
私のすべてが認められて、存在をゆるされて。
ひとつになれたら。
私は自分の醜さも受け入れて、この生も甘んじて受け止めて、歩まずとも、立ち続けることはできると思うのですよ。

ゆるしてもらえるのならば、なんだってします。
あなたの欲も、暴言も耐えてみせましょう。
…むしろ、そうやって痛めつけてくれたらいい。
私のことを縛り上げて、なじって。
罰を与えてくれたらいい。
そうしたら私は、ゆるされる権利を得られるのではありませんか?

自分の人生は変えられる
見方を変えたら幸せが見つかる
…そんなことは知りませんよ。
私にはそんな、何かを変える資格なんてありませんもの。たとえ自分のものであっても。

しあわせになりたくない、と言えば嘘になりましょうね。でも、その前に。なにより先に、私はゆるされたいのです。
ゆるされなければ、しあわせもなにも、受け取れるはずがないのです。いや、そもそも私は、受け取ることを許されてはいない。このまましあわせになるなど、許されていないのです。
だから。
せめて、ゆるしを乞うことを、許されたいのです。
無償で、とは言いません。対価は払います。
私にできることなら、どんなものでも。
だから、もしあなたに慈悲の心があるのならば。
私を縛って、私を裁いて、
私からわたしを奪い去って、
傷がつくまで痛めつけて。
なにも持たない、ありのままのわたしの姿を見て、どうしようもない奴と認めて、
そして、私を罰してはくれませんか。
私に、償わせてはもらえませんか。
…そして、私のことをゆるしてはくれませんか。

優しいあなたにこんなことを頼むなんて、間違いでしょうか。いいえ、優しいあなただからこそ、頼みたいのです。私のことを、一度は愛していると言ってくださったあなただからこそ。

…でも、私があなたに頼みごとをするなど、それこそ許されたことではないのかもしれませんね…
どうしようもない人間の、くだらない戯言だとお笑いくださいな。

…ゆるされたいけれど、そんな願いを乞うことすら、この私には、許されているのかどうか。
それすらも私には分からないのですものね。





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