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声にならない、届かない訴え


食べられない。

食べたくない。

食べちゃいけない。

食べるのが怖い。



そうやって、意識が少しずつ変わっていく。
そして、ふとした時に、
糸がぷつっと切れて止められなくなる。
それまで食べられなかった分を、補うように。



拒食の時は、きっと食べないことで自分を守っている。
自分は強くなれた、もう怖いものはないって思える。
そして痩せた身体で、言葉に出来ない自分の内面にある
痛みや苦しみを訴えて、
私を見てって、心の中で叫んでいるんだと思う。


でも、過食に転じた途端、
拒食の時よりも心は泣いているのに、 
絶望しているのに、
誰よりも孤独を感じて助けてって叫んでいるのに、
体にまとわりついた脂肪が邪魔をして、
気づいてもらえない。

1人で、自分の力で力強く生きてるって
思われてしまう。
苦しみと痛みがかき消されて、
絶望の縁に、より孤独に追い込まれる。




食べなければ、痩せれば
心配してもらえることを知ってしまっている。
だから、食欲がなくなった時、食べたくない時は、

「もっと食べないでおこう」
「体重が減っているんだから、
 これ以上食べたらまた増えてしまう」

そうやって、食べられない状態に
さらに自分で制限をかけてしまう。


その時は幸福感に包まれて、
人から心配されて気を引けても、
その後必ず反動が来て、
自分の意思では止められなくなって、
また太っていく。
また脂肪を蓄えていく。

自分の醜い姿に絶望して、心配もしてもらえなくなり、
周りは安心したような表情を見せてくる。
この10年近くでそんな事を何度も繰り返して、
そうなる事はわかっているのに、
わかっていてもやめられない。


やっぱり摂食障害は治っていなかったのかもしれない。


調子の良い時に目を向けて、
現実を見ていなかったのかもしれない。 

現実に不安定なことが起きると、
食べられなくなる、食べ過ぎてしまう。
そうやって、今でも食に逃げている。
意識的にも、無意識的にも。

やり切れない現実を、食べることで、食べないことで、
紛らわそうとしている。
心の隙間や、感情に支配される感覚を、
食べ物で埋めようとしている。
そんな事しても意味ないって、虚しくなるだけだって、わかっているはずなのに。



人からの心配が欲しい、人からの注目が欲しい。



そんな潜在的な思いを抱えて、
しんどい状況を人前で見せて、
辛い状態に自分を押し込めて。



そんな弱い存在じゃいないと、誰も見てくれないから。
ここに居るって、知ってくれないから。
助けてって声を、聞いてもらえないから。



だから、少しずつ食べられるようになることに、
不安や焦りを感じてしまう。

また普通に食べられるようになったら、
周りから突き放されてしまう。
「元気になって良かった」で、終わってしまう。

心はまだこんなにも不安で寂しくて孤独なのに、
気づいてもらえなくなる。

それが怖くて、食べられない弱々しい状態に 
とどまっていたくなる。



このままじゃ体がもたないって思いながらも、
普通に食事がしたいって思いながらも、
この特別感を手放すのが怖い。

気持ち悪くていいから、しんどくてもいいから、
食べられない自分で居続けたい。
周りにもわかるくらい、心配されるほど、
痩せ細ってしまいたい。

あの頃に戻りたい。

常にそんな相反した感情と願望を持ってて、
これじゃ摂食障害を患った当時の思考や対処法も、
根本の不安定さも、
やっぱり変わってないなと思う。





人との関係性を上手く築けない。

感情に支配されて、呼吸ができなくなる。

未来が見えない。


怖い。怖いよ。


まともに生きられないなら、
いっそもう病気のままで居させてほしい。

“普通”の人として生きること、
元気だからいつも頑張れると思われること、
感情をコントロールしたり
上手く人間関係を築いたりすることは
当たり前だよねって思われることが、
もう苦しい。


弱い存在で、自分の力で生きれなくて、
それでも許してもらえる存在で居させてほしい。

それが叶わないなら、もう。

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