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人と、孤独と。生きるって何でこんなに難しいのか。


喫茶店でパソコンと手帳を開いている。

今の自分の想いを言語化したり、2023年を振り返ってみたり、2024年やってみたい事・行ってみたい場所を書き出したりしようと、少しばかり1人の時間をとった。




周りを見れば、誰もが友人や家族と楽しげに話をしている。久しぶりに会った人達と、話を弾ませているのだろうか。


最近は、こんな状況にすぐ過敏になってしまう。


そして、目の前に人はいるのに、孤独。
そんな感覚にもよく苛まれる。





世界から自分だけがポツンと、取り残されたような孤独感。
誰もが周りの人と健全な関係を築いて、大切な人との時間を最優先し、長い時間を共にするようになっていく。



でも、沢山人に会いたいかと言われれば、それも気が引けてしまう。
声をかけてほしい、話し相手になってほしいと思いながら、いざとなると億劫になる。





双方の板挟みになって、がんじがらめになって、身動きが取れない。
しがらみに揉まれて、人混みの中で見えなくなっていく。



そんなことを書いていると、もう数年会っていない、でも当時自分のしんどい状況を近くで見守ってくれていた人から連絡があった。
そのメッセージを見た瞬間、喫茶店で沢山の人に囲まれているに関わらず、熱い涙が込み上げた。零れないよう、必死で我慢した。


どう生きたらいいのか分からない。辛い。苦しい。
そんな声を上げているのを見かねて、声をかけてくれる人がまだいたのだと。
誰からも必要とされていない、誰からも心配されない、そんな訳じゃなかったんだと。
すぐ近くにいる訳ではないし、頻繁に連絡を取り合う訳ではなくとも、こうして見守ってくれている人が存在しているという事実に、ほんの少し救われた。


一方で、自分が信頼を置いている人達にそういったメッセージをスルーされること、一緒にいたいと思っているのに相手は応えてくれないこと、そんな経験の積み重ねももう辛くなってしまった。


SNSを見れば、年末年始の帰省で友人は地元の人達と楽しそうに過ごしている。
地元の方が好きだ、ということは、数ヶ月後大学を卒業すれば会える機会も一気に減ることは目に見えている。
今でさえ、大切にしたいと思う友達にも自分から連絡をしたり会う約束を取り付けない限り、相手から声をかけてくれることはない。
自分からばかりに疲れてしまった私は、相手にとってその程度の存在なんだな、そうやって今よりも一層孤独になっていくんだろうな、そんなことばかり考えて、未来に希望を抱けない。
どう生きたらいいのかわからない。
そんな負のループばかりの毎日。




生まれる時代を間違えた。
SNSやスマホがないと生きられない、それが人間関係の大半を占める。
こんな苦しい時代に生まれたくなかった。


Instagramで繋がっていないと、他者の近況が分からない悲しさ。
InstagramにLocket、Be Real 。
周りの人たちは、そうやって複数のSNSを通じて知人と繋がって、日常を共有し合っている。

プライベートなんてものはないのだろうか。

Be Realで通知が届いた瞬間「早く撮らないと!」そう言って周りの人が一斉にスマホを上に掲げる光景に、ゾッとした。
通知が届いて2分以内に写真を投稿すれば、その日投稿できる写真が増えるらしい。
自分が写真を上げない限りは、他者のその日の投稿が見れないらしい。
だから、周りは「やばい、今日まだ上げてない」と呟く。

私は何も分からないままそんな知識だけを蓄え、何も分からないまま友人の写真に映り込むよう指示される。
どうしてこんな時代になってしまったのか。
それは本当の繋がりなのか。


現代人は、ネットで繋がることが当たり前だから、不安なんだろうな。寂しいんだろうな。


こんな意見を言うと、現代人の大半からバッシングを食らいそうだ。
私はきっと、周りの友人の何倍も孤独や寂しさ、不安を感じやすい。これは特性で、どうしようもない。
それでも、薄っぺらい繋がりに執着し、他者の生活をもっと知りたい、入り込みたいとまでは思わない。
自分のことが1番わからない。書きながら、矛盾してるなとも思う。




Instagramも、それほど親しくない人と繋がって日常を共有している事実がしんどくなって、自分が心地良いと思える人、今後も関係性を大切にしたい人に限って新しいアカウントに移行しようとした。
でも、おすすめで見つけたのか、こちらがフォローしていない浅い関係性の人達からもリクエストが送られてきて、こんなもので人間関係が創られ定められていくこと、離れられないことに嫌気がさし、またしんどくなり、移行することも諦めた。




私達はもはや、ネットに利用されている。
使いこなすどころか、手放しては生きられないほどに、縛られているのだ。



終着点は見えないけれど、最近はそんなことばかり考えてしまう。
でも、ふとした瞬間に思っても見ないところからメッセージが届いたように、
現実はそう捨てたものでもないのだろう。
頭では、そうわかっている。でも、心がわかってくれない。
それでも、少しの光に、縋ってもいいのだろうか。

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