見出し画像

『道徳的人間と非道徳的社会』(ラインホールド・ニーバー:千葉眞訳・岩波文庫)

岩波文庫から、ニーバーの著作が出る。そのニュースだけで、すぐに注文した。ニーバーといえば、キリスト教の世界でその祈りを知らない人はいないであろう。本書でも、訳者解説の最後の頁で紹介されている。
 
  O God, Give us
  Serenity to accept what cannot be changed,
  Courage to change what should be changed, and
  Wisdom to distinguish the one from the other.
 
英語の原文を私は初めて見た。さすがにリズムがいい。日本語も精一杯よく訳してあるのだが、英語の流れには適わない。
 
  神よ、
  変えることのできないものを受け入れる平静を、
  変えるべきものを変える勇気を、そして
  変えることのできないものと変えることのできるものとを
  識別する知恵を、
  われらに与えたまえ。
 
しかし、本書は宗教的な本ではない。むしろ、宗教の要素は殆どない、と言って差し支えない。ニーバーは、自由主義の神学者である。牧師でもあったが、思想的なオピニオン・リーダーとして、アメリカ社会に与えた影響は計り知れない。決して、黙想的な祈りの人ということではないのである。
 
19世紀末から、1970年まで存命したから、確かに少し以前の世代ではあるが、死後半世紀を経て、こうしてまた注目されるという機会が与えられたことはうれしく思う。また、昨今のアメリカの不安定さと、必ずしも理性に基づいて行動しているとは言えない現状を鑑みるに、いま改めて見直されて然るべき思想家であると言えるのではないだろうか。
 
近年でも、カーター大統領やオバマ大統領が、ニーバーの著作に親しみ教えられていたこと、キング牧師が積極的に評価していたことなど、決してそれが過去のものではないことを示している。
 
訳者が解説しているように、ニーバーの考え方には、前期のものと後期のものとで、だいぶ色合いの異なる部分がある。この代表作は、二つの大戦の間で著された。ソ連の共産主義革命が、まだ今後どうなるか知れない時期でもあり、また世界の中には、共産主義への魅力と期待も多々あり、他方で、民主主義が危機感を抱いてそれを見つめており、むしろ抵抗していた、というようなこともあったようである。日本でも、大学紛争時代にはそういうところがあった一面があったと思う。
 
ニーバーも、共産主義へ、ある意味では正当な評価をしているといえる。しかし、両手を挙げて喜んでいるわけではない。あくまでも本書のひとつの契機は「道徳」である。人々が道徳的によくなれば、社会もよくなるのか。頭に描きやすい幻想ではある。しかし、ニーバーはそういう点に、むしろ危険性を見出す。現実の悪いところを見逃して、よけいに悪い社会へと傾いてゆくであろうことを指摘するのである。
 
社会主義をひとつの理想のように見る眼差しも、当時あった。平等で助け合う、すばらしい社会ではないのか、と。だが、そんなふうにはならない、ということをニーバーは適切に示した、ということであるかもしれない。
 
もちろん、話題はそれだけに限らない。社会には権力があり、支配される人々がいる。階級により、捉え方はどう違うのか。特に気をつけておきたいのが、プロレタリア階級である。労働者たちが社会を形成しているのはある意味ではその通りなのだが、その故に権力者となると、必ず歪みが生じるであろう。人間はどうあっても、危険へと向かう要素を含んでいるのである。だから、読者は必ずそこに目を惹くであろうが、ガンディーをも警戒している件がある。非暴力による抵抗が、必ずしもそれだけで褒められて然るべきではない、というのである。そこに強権を発動する危険性が潜み、またそのことで一部の人々に実害を与えることから目を背けてはならない、などと強く言うのである。
 
稀にではあるが、日本への言及もある。国際連盟が、日本に圧迫をかけている中である。その強制は、日本帝国主義に悪影響を与えるのではないか、というのである。実際、本書発行の翌年、日本は国際連盟を脱退している。そうして、第二次世界大戦へとコマが進められてゆくことになるのである。
 
最初にご紹介した「平静を求める祈り」(The Serenity Prayer)は、1943年、第二次大戦の最中、マサチューセッツのある山村で招かれた教会での、説教のときの祈りだそうである。この背景も私は知らなかったため、感慨深い。戦争の最中、人が殺し合っている中での、祈りだったのである。本書発行時、ウクライナとロシアの戦闘はまだ止まない。イスラエルのガザ地区への攻撃も終わっていない。私たち自身は、爆弾の飛び交う中にいるわけではないが、ニーバーもいわばそうであった。国を動かすのは、私たちである。それを民主主義という。知恵を与えたまえ、と祈るべきは、まさにいまの私たちではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?