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『マンガで学ぶ動物倫理』(伊勢田哲治・なつたかマンガ・化学同人)

マンガで同じキャラクターたちが問題に挑むストーリーと、その場面毎に、専門家の解説があるという形が繰り返されて、最後まで見せてくれる。マンガのページもまずまずあるので、読み進むのは楽である。しかし、解説のページは決して手を抜いたものではない。むしろ、マンガと相俟って、動物倫理の本質的な問題が掲げられ、しかもマンガのために非常にそれが読みやすくなっている。よい構成だと思う。
 
ストーリーというのは、推理小説が大好きな高校2年生の琳太郎君が、ミステリー研究部を成立させるために、幼なじみの清音さんを誘う。まあ仕方がないか、と入部するも、部員は2人だけ。新入部員をつくらないと部室が確保できないからと言って、部員募集を2人で始める。清音さんが、「生き物探偵」の活動を始めることを提案する。動物のお悩み相談を受けようというのである。
 
琳太郎のいとこの喫茶店マスターを通して、老婦人の依頼者の、犬にまつわる悩みを知らされる。そこから、「動物に言うことを聞かせるのは人間のエゴか?」という問題が論じられることになる。動物の愛護とは何なのだろうか。
 
琳太郎の小学生の妹は猫を可愛がっている。猫の去勢問題から、「殺処分」について考えるコーナーが始まる。私の携わる地域猫は、それを少しでも減らすための運動であるが、特に家族扱いをしていた動物が、飼えなくなるだけで「処分」されることを、どう考えればよいのだろうか。災害の避難所にも、家族同然の動物が入れないという実態についても、触れている。
 
概して、これはこうだ、と決めつけるような論じ方はしない。これは、読者に考えてもらうための本である。こうした問題がある。このように解決しようとしても、またこうした問題が生じる。そうした形で、「問い」が連携してゆく。この姿勢がとてもよいと思う。また、論じた最後に、映画や小説などで、当該の問題を扱ったものが紹介される。これは本書の特長であると言えよう。物語から、問いかけられ、また考えてゆくきっかけにしようというのである。巻末にも一覧があるので、そうした物語に触れる道が開かれる。
 
いよいよクラスメイトからの依頼が来て、部員獲得への一歩が始まる。化粧品を開発するために、動物実験が行われているということを知って、胸を痛めたというのだ。とくに、それが「嗜好品」の類いであるから、そうまでしてつくられた化粧品を使うことに良心の呵責を覚えるということなのだろう。そこで、「動物実験」の実際について教えてくれる解説が始まる。いま世界でどのような議論が行われ、どのような法律がつくられているのか、それを知ることができる。
 
しかし、「嗜好品」でなくとも、私たちは動物の命を奪って食べている。その食べられる動物たちは、一歩も籠や小屋から出ることがなく肥らされ、命を奪われている。私たちが生きるためにそれは必要なことだということは当たり前なのだが、高校生たちは考え込む。そうした動物的にも、なんらかの「自由」が想定されているが、全員がヴィーガンになればよいというものでもないだろう。感謝して食べることが必要だ、とは言うが、感謝さえすれば何をしてもよいのか、との問いも生まれてくる。
 
この後、『大型類人猿の権利宣言』という実在の本が登場する。人間が人権というものを想定しており、他方動物たちとは一線を画するという考え方もあるが、類人猿となると、線引きが難しい野ではないか。いったい、動物たちには「権利」があるのだろうか。あるとすれば、人間がどう決めればよいのだろうか。
 
その後も、外来生物をはじめとして、人間社会に害悪をもたらす動物を駆除するということについて考えさせられたり、人間の命を守るために動物実験に使われる動物はどうなのかと問われたりすることが続く。海外の、自然保護団体の中には、さらに過激に動物たちを守るために、政治レベルで行動をするグループもある。琳太郎たちは、ふとしたことからそういう人とも触れあうこととなる。そうしたことを経て、やがて琳太郎たちは、ひとつの見解を皆の前で発表するのだった。それは必ずしも万人に受け容れられるものではなかった。だが、一つの態度ではあった。人間と動物、そこにどんな尊厳を見出せばよいのだろうか。どんな選択肢が、さしあたりあるのだろうか。本書は、一定の結論を押しつけることはない。とりあえず清音は、一匹の犬の里親になることを決意する。琳太郎は、人間の尊厳を問うミステリー小説を書き始める。
 
最後に、人間がここまで辿ってきた道を簡単にではあるが、著者は紹介する。問題の発生とそれの克服の流れが一望できる。また、参考文献も、コメントを含みつつたくさん紹介する。先ほども触れたが、本書は結論を出そうとするものではない。また、ある考えをもつべきだ、と迫るわけでもない。現実にある問題を提示して、ここから考えてほしいのだ、と若い人たちに問いかけるのだ。そのために必要な知識や資料を惜しげもなく並べて、今度は君たちが頼むぞと託されることとなる。
 
キリスト教関係者の学びにも、とても良い本だと思った。これに無関心でいるようであったら、キリスト教界は、ますます人間本位のわがままな宗教として、人が近寄らなくなるかもしれないからである。

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