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ほとんどの災害を経験してしまった人生 part3困難を前向きに乗り越える事が人生だと思う」

年末年始は仕事と趣味に追われ、noteさぼってた。。今年はnoteも習慣化しよう。

今回は経験した沢山の災害についての最終回にします。part1では阪神淡路大震災、強盗。part2では火災。今回は水害とその他について書き残しておきます。

水害

川の氾濫のよって町全体が水没する。そんな事を身近で経験しました。ただ今回の話は私の無謀な経験なので”馬鹿な奴”程度で・・

まず、氾濫で水没した際の水質は恐ろしいです。当然下水も交じっているし、ガソリンや家の中や街中にあるありとあらゆるモノが混ざりあっています。私は肌が強い方なのですが、一瞬で身体全体がひどく荒れしました。

これは25年程前の話。当時、転勤で名古屋で仕事をしていました。夜に同僚の女性から電話があり、大雨の影響による川の氾濫で町全体が水没してしまった!!の事。その時ニュースで報道されていたのですが、まさか知り合いがいたと思ってませんでした。1Fに住んでおられたようですが、2Fまで水没して3Fの人の家に避難していると。愕然とした、、その時はすぐにレスキュー隊がかけつけてくれるだろうという事と、家族全員無事だということを確認して一旦電話を切る。その後電話がなく、そして翌朝早く電話があり、まだ救助されておらず、いつになるかわからないということ。食事も取れてないし、水も電気も止まっており、携帯の充電も残りわずかということだった。そしてその後、電話もかかってこなくなりました。

とにかくなんとかしたい!!と思い。家にあったゴムボートと浮き輪、ウェットスーツを車に積んで直ぐに救助に向かう。(子供と海で遊ぶためのゴムボートと当時少しだけサーフィンをしていたので持っていた)できるだけ車で近くまで行って、そこからゴムボートで行こうと計画。しかしゴムボートではなかなか前へ進めません、、、水が真っ黒で水の下に何があるかわからないのです。そして水の下には車とか金網やらガードレールなどが沈んでいて、引っかかるのです。仕方なく浮き輪だけ持って胸元まで水に浸かりながら、電話で聞いたアパートまで向かいました。めちゃめちゃ怖かったです。(きっと、今の時代なら全面立ち入り禁止になって、こんな事できないと思います。無謀です。こういう事は止めましょう)

そして2時間くらいかけて目的地に近づいた所で消防隊の人がいたので聞いてみたらこのあたりの人は全員救助したとの事。危ないので帰ってくださいと言われ、2時間かけて車まで戻りました。。(何をしてるやら。。)

その日の夜に彼女から電話があり無事に避難できたと連絡がありほっとしました。その彼女はその当時付き合っていた方と結婚して元気に幸せに暮らしています。その時の縁なのか25年経った今でも人としての付き合いがあります。

当たり前ですが、氾濫時の水は本当に恐ろしいです。地震による津波や川の氾濫が少しでも予想されたら、直ちに高い所へ逃げましょう。

あと余談になり災害ではないですが、経験という事で書き足すと、私は社会人になるまでに父が3人変わりました。(まあいろんな方がいました・・)ですので性は祖母の苗字を含めると4回変わった^^小学生の頃は母子家庭。住んでた家は6畳1間の風呂無しボロアパート。絵にかいたような貧乏でした。なかなか風呂の無い家に住む機会は無いので良い経験だったと思います^^この話は妻と数名の親友にしかしていません。生い立ちが恥ずかしいからとか、言いたくないとかではなく、今となっては貧乏自慢にしかならないと思っているからです。(個人的感想)

そして、今の自分があるのはそれらの経験を積む事が出来たからこそ、本当に心から感謝しています。

『地震、雷、火事、親父』、それに加えて強盗、水害..etc

あとは雷だけです・・流石に気合では雷に勝てないので当たらないよう気を付けよう。







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