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ほとんどの災害を経験してしまった人生 part1。(地震、強盗、水害(水没)、火事などなど、、)困難を前向きに乗り越える事が人生だと思う。

以前ブログでも書きましたが大学時代に経験値を高めるためと、世の中の仕組みを知るために50種類以上のアルバイト経験をした。そして災害もほぼ全部経験した(災害に関しては望んだわけではありません。。)その話をブログに残しておきます。災害にあった時の参考になれば幸いです。

経験だけは異常に豊富な人生です、、^^

まずは地震

1995年の阪神淡路大震災の時は神戸に住んでいました。(実家も神戸です)妻と結婚して2年目の冬、地震発生時はまだ爆睡中でした。当時アパートの2Fに住んでいましたが、恐ろしい地響きと共に、床が抜け2Fから1Fに落ちたような衝撃を受け目を覚ましました。1発目の縦揺れです。そのタイミングで妻が大絶叫してた事をはっきり覚えています。(その声でさらにビビりました、、)

その後、強烈な横揺れ、とても立ち上がることなんて出来ない揺れで、妻と布団に潜ってひたすら止むのを待っていました。その間、冷蔵庫や本棚、タンス、TVなどが倒れていっているのが音で分かりました。茶碗などが落ちて割れる音、そして何より地震自体の地響きが交じり合って物凄い恐ろしい轟音だったことを覚えています。(妻の絶叫含む、、)

そして地震が収まって各部屋を見てみると家具やTV台など全てのモノが倒れて壊れていました。壁はひび割れだらけ、、まじか。。としばらく声がでず呆然とするだけです。大きなタンスのある部屋で寝ていたら死んでいたかもわかりません。

そして、その時点では自分の住んでいるエリアだけの事だろうと思っていたので、妻に「今日は大阪で大事な会議やから帰ってきたら片付けするので危ないからそのままにして置いといて。。全部買い替えなあかんな。。」と呑気な事を言っていました。まだ事態を全部把握できていませんでした。

仕事には若い頃からストイックだったこともあると思います。。。(ほどがありますが)

そしてラジオの報道を確認して、神戸全体がとんでもない事になっている事がわかりました。三宮のビルや阪神高速が倒れているのを知り、今日は会議はないな。。と理解できました、、そしてすぐにライフライン(水、ガス、電気、電話)が止まってしまい。近くの小学校まで水を汲みにいく生活が5日ほど続きました。ただ2日目から会社と連絡がとれるようになり原付バイクに乗って(自動車は走れるような道路状態ではなかったので)取引先との確認など自身の生活と仕事の両立をするのが大変でした。仕事と言ってもしばらくは得意先/社員の安否確認や社員への物資配給などです。バイクで移動している際、文書では書けない悲惨な現場も多々見てしまいました。ライフラインが切れた時に学んだノウハウもあるのですが、それはまたいつか書きます。

私の知り合いで亡くなってしまった方もいます。とにかく私は命があって、今生きていられる事に心から感謝しています。

あと自衛隊の皆さんの懸命な救助活動は本当に今でも深く感謝しています。

この阪神淡路大震災からの学びや出来事は多すぎて、長くなるのでこれくらいにしておきます。

次に強盗(泥棒)

18年前、単身赴任で横浜の保土ヶ谷区の小さなマンション4Fに1人で住んでいました。まだ赴任して1か月くらいの出来事です。(ちなみに上星川という駅の近くに住んでました)

その日は横浜駅の周辺の居酒屋で歓迎会をしていただいて、夜中12時くらいに帰宅。鍵を開けようとした時、鍵穴の横に直径5mmくらいの穴が開いているのに気づきました。「えっ!」「何?」「こんなとこに穴空いてたっけ?」「鉄の扉に?」「目の錯覚?」「部屋間違えてる?」数秒間、お酒の酔いもありこんな感じで脳が混乱してたと思います。そして『泥棒や!!』と気付き、ドアノブを回したところ、閉めていったはずのカギが開いていました。鍵自体はかなり複雑な鍵でピッキングなどに対応している鍵でした。ですので鍵穴自体を壊したのだと思います。もちろんマンションの玄関はオートロックです。警察の方曰く、プロの犯罪集団は鍵開けなんて一瞬でやってしまうとのことでした。。

恐る恐る少しだけドアを開けて覗いてみたところ、刑事ドラマで見たような部屋の状態、まさに泥棒が入った後そのものでした。タンスや机からすべてのモノが出され散乱。もしこのまま部屋に入っていって、泥棒がまだ部屋にいたら間違いなく刺されると思ったので、慌てて1Fに降り外へ出ました。安全を確保して警察へ電話。夜中なのにすぐに来てくれました。たぶん10分くらいだったと思います。パトカー3台。警察の方は7人いらっしゃいました。警察を見た瞬間にもの凄く安堵しました。。。この時ほど警察の方を神様仏様のように有難く思ったことはありません。(若い頃にスピード違反で捕まって「ケッ」と蕪村な態度をとったことを深く反省。)

警察の方と一緒に部屋へ入っていき、部屋を確認しました。自分の大切なモノを、まさに土足で踏みにじられたという感じ。凄まじいこの部屋の状態から元どうりに片づけるのにどれくらいかかるだろうと落ち込みました。

そして、例のあれを見ることができました!そう刑事ドラマでよく見る白い粉で指紋を採取するシーンです。部屋全体を慎重に白い粉でポンポンしていました。(実物を見ることになるとは!その時だけなんかちょっと嬉しかったです)たしか区別するために私の指紋も採られた思います。

その間、1人の警察の方から私自身の生活サイクルとか、恨まれることは無かったとか(ございません)、いろいろ聞かれました。そして実際に被害にあったモノですが、机の中に入れていた予備の生活費の現金10万円だけでした。PCや服、カードなど何も取られていませんでした。高額な時計や貴金属などたいしたものは何も部屋には無かったので。泥棒さんもガッカリしたかもです^^

そして警察の方が帰った後も大変でした。白い粉は警察の方がふき取ってくれたのですが、所々残ってました。あの粉ってぬれ雑巾程度ではなかなか綺麗に取れなかったです。。特殊な粉なのでしょう。

それより厄介なのが、鍵が壊れている事でした。夜中の2時過ぎくらい。。泥棒に入られたその日に鍵がしっかりかからない状態で夜を過ごすのははなかなか不安でした。(若い頃ボクシングはやっていましたが銃器類には勝てません、、)今なら24H緊急対応の鍵屋の会社もあると思うのでそちらを利用された方が良いと思います。(少々お高いと思いますが)そして寝ずに1夜を過ごし、朝一で不動産屋さんに電話、すぐに修理してくれました。

それから2-3週間後だったと思います。警察から電話があり犯人が捕まったとのことでした。ある程度目星が付けていたのだと思います。「ただ現金は残念ですがあきらめてください」ということでした。命があったので良い勉強代だと思っています。

その時に警察の方から泥棒が成功した住居は泥棒会でのネットワークのようなものがあるようで、また狙われる可能性が高いので気を付けてください、と言われました。。。

鍵をかけているから絶対に大丈夫と思わず、万が一泥棒に入られた場合に備えた貴重品などの管理も必要だと思います。

長くなってしまいました。。次回は水害(川の氾濫による水没)や火事など災害の経験ついて書きます。ほんと沢山勉強させていただいています。。。

少しでも参考になれば幸いです。

最後に、警察および自衛隊の皆さん いつもありがとうございます。






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