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「友達の自由化」を望む

column vol.1056

「ミシガン大学」の長期プロジェクト「Monitoring the Future」によると、ここ20年10代の若者たちの友情の形が激変しているらしいのです。

〈TABI LABO / 2023年7月8日〉

まずは「友達と出かける頻度」について。

1996年2020年のアメリカの10年生(15〜16歳)を比較すると

1996年…週平均2.5回
2020年…週平均1.5回

と差が生まれています。

ちなみに、2020年とありますが、こちらはコロナ前までに取得したデータとのこと。

要因にはSNSが挙げられています。

急激に減ったのは2012年で、同時期には10代の70%以上がSNSを使っていたということが分かっています。

つまり、友情が対面からオンラインへの移行が進んだタイミングであると指摘。

そして、場の制約がよりシームレスになり、オンラインを通じてさまざまな人とつながり、多彩なコミュニティを形成するようになったわけです。

地縁社会で生きてきた大人世代の中には、「広くて薄い友情関係」と見る人もいるでしょうが、でも、実はこれってメリットの方が多いのではないと思うこともあります。

そのことを象徴する中国のある現象を皮切りに、若者の新しい友達の形をご紹介していきたいと思います。


細分化される中国の友情関係

中国では最近「搭子(Dazi、ダーズ)」という新しい人付き合いのスタイルが広がっているそうです。

〈AFPBB NEWS / 2023年5月25日〉

この搭子とは、「特定の趣味や目的に限ってつながる手軽な仲間」を指します。

例えば、一緒に食事をする「メシ友(飯搭子)」、トランプやマージャンをする「遊友(牌搭子)」といったように「テーマ型の友人関係」と言ったら分かりやすいでしょうか?

さらに最近では「カフェ友」など、趣味や目的が幅広くなっているそうです。

また、日本でも推し活ブームですが、中国でも大好きな歌手のコンサートの時だけ落ち合う「推し友」がいるとのこと。

他にも試練を一緒に乗り越えるための搭子もあるそうです。

例えば、長い受験勉強に挫折しないよう励まし合う「勉友」や、体を鍛える「ジム友」などがそうです。

そして搭子には暗黙の了解があって、「互いに生活で悩みや問題があっても、そうした話はしないし、聞いても手助けはしない」とのこと…

つまり…、趣味のつながり以上に互いに干渉し合わないのです…

あくまで「知り合い以上、友達未満」

日本ではオンラインでの関係はまさにそうだと思いますが、対面でそのような割り切った関係が成立しているというのは新鮮です。

「親友だけど本名は知らない」タイの人たち

この「適度な距離感」ということを目の当たりにした後、別の国の友達事情に驚くことがありました。

それがタイです。

タイでは昔から、親友であっても本名を知らないということが当たり前なのだそうです…(驚)

〈現代ビジネス / 2023年6月2日〉

なぜ、本名を知らないのか?

それは、同国では愛称で呼び合うことが一般的だからです。

有名なのは『花より男子』のタイ版ドラマにも出演した俳優、メータウィン・オーパッイアムカジョーンさん

「ウィン」という愛称で呼ばれています。

ウィンは、タイ語で「走る」という意味。

女性ならプン(ミツバチ)、メーオ(猫)、プローイ(宝石)、ボー(リボン)、アイス(氷)。

男性チャーン(象)、ケン(上手)、ナム(水)、ニュー(新しい)、ビアー(ビール)などがよくつけられるそうです。

こうして愛称で呼び合う理由は、独特の「精霊信仰」にあります。

タイ人は昔から、ピー(精霊)が生まれたばかりの子を連れ去ってしまうと考えている。

そのためピーに子どもが生まれたことを気づかれないように、そして赤ん坊の名を呼んでもピーが分からないように、動物や昆虫の名前などを愛称にしてきたのです。

この「愛称で呼び合う」という根本は「大切なものを奪われたくない」というところにありますが、日本でもオンラインでの友情関係の中に垣間見えるかと思います。

SNSの世界では本名ではなくハンドルネームを使う方が多いですが、それはリアルとは別の世界をつくることで、新たな豊かな時間をつくっているわけです。

当然、それぞれの領域を壊したくない

そう考えると、搭子の関係というのは、お互い共通した趣味・目的をより深く、より豊かに楽しむための濃い友情(信頼)関係にも見えてきます。

例えば、好きなアイドルのコンサートや大好きなスポーツチームを観戦する時は、「日常を忘れたい」という気持ちがあるわけで、「推し友」をその延長として見ると、「テーマ型の友人関係」の意味合いと必要性がより理解できてきます。

「テーマ型」だからぶつかれる

逆に…、精神的な深いつながりがある友情関係といっても…、ただただグチを言い合う関係であれば、…それは単なる「グチ友」でしかないのかもしれません…

要は前向きに楽しく生きていくために、寄り添い合える人がいれば良い

それがリアルでも、オンラインでも。

本名だって、ハンドルネームだって。

ちなみに個人的には、私のことを一番褒めてくれるnoteの世界が大好きです(笑)

また、テーマ型の友達だからこそ熱くぶつかれるというパターンもあります。

この春、演劇観光が学べる四年制公立大学「芸術文化観光専門職大学(CAT)」が誕生しましたが、専門性が高い学校ということもあり、非常に濃い友達関係が構築できているとのこと。

〈ラジトピ / 2023年5月25日〉

魅力的な作品をつくるため、時に衝突する。

でも、目的に向かって少しでも良くしていきたい気持ちを理解し合えるからこそお互いを信頼し、より深くなれる

最近の若者は衝突を避ける傾向にあると聞きますが、趣味と目標を共有することにより、本音で話せる関係を築けるというのはいつの時代も同じことなのでしょう。

私も一生の友達だと思う人たちって、部活のメンバーなど同じ趣味と目標を持つ人たちでした。

一方で、そうした友達も月日が流れ、目指す目標と趣味趣向が異なることによって希薄になっていく関係も数多ある。

そして今現在で言うと、結局、同僚(仕事仲間)が一番同じ目標と趣味(仕事の分野)を共有していると言えます。

もちろん、仕事なので馴れ合いになり過ぎず一定の距離感を保ってはいますが、それでも正直、友達以上に大切な存在でもある。

(もちろん、同じように憎らしい瞬間も多々ありますが…笑)

私は同僚を「同志」と位置づけ、家族や友達とは別の大切な存在として考えていますが、そうなってくると、回り回って「友達って一体何なんだろう?」と思うのです。

社会人になると、友達とはプライベートで付き合う人たちで、利害を超えて助け合う関係性である、という何か社会一般の定義みたいなものがありますが、どこか「理想化」され過ぎているような気がしてしまいます…

もっと友情関係も多様化していって良いのではないでしょうか?

友達の自由化へ

結局のところ、お互いに楽しく、豊かな人間関係であれば、濃かろうが、薄かろうが何でも良い

現に、本名も素性も知らないnoterさんの一言に救われることもたくさんありますので😊

いろんな人間関係があることが、個人的には幸せだと感じる今日この頃です。

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