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アイデンティティクライシスって笑い事じゃなかった【本を読む】

全然、自分の意見がないなあと思うことがたびたびあった。

友人との会話、会社での会議。まず発言して「そうじゃなくて」と否定されるが怖い。
意見の否定は人間性の否定ではないと頭でわかってはいるのだが、なぜか人より素地がないので心はなかなか切り替わらない。

そして質問が出てこない。最後に質問は、と会議や面談で言われても、出てきた試しがない。何が疑問かもわからないのである。そのくせ他人が質問しているのを聞くと、ああそうだよね、となる。

そんなことをもやもやと考えていたら気づいてしまった。自分の意見というものが無い。興味がないから云々理由をつけてきたけど、こんなに真っ白なのはまずい。

そしてそのもやもやを抱えたまま気づけば20年以上経ってしまっていたので、さすがにタイパが良くないと思い始めたのだった(タイパって言葉初めて使った)。

そこでこちらの本を購入。タイトルがドンピシャすぎて怖い。
「自分の意見」ってどうつくるの?
平山美希著 WAVE出版

何を言われても気にしないための心の持ち方!みたいな精神論系の本ではない。
著者はフランスで哲学講師をされていた日本人の方だ。
タイトル通り自分の意見の持ち方のほうに焦点を当てて、フランスの高校生が必修で受ける哲学の授業を元に論理だてて独自の考えを掘り起こす具体的なやり方が記されいてる。

この本のおかげで私は自分の悩みが「哲学」という学問になることにまず驚いたのだった。
哲学というとこれまで、アリストテレスやらカントやら、とにかく古代ギリシャの頭の良い人らが凡人では気づかない途方もないことを考えて、ふいに重力を発見する……みたいないろんなことがごちゃ混ぜになったイメージだった。

つまり知らない。日本の義務教育の必修でもない。なので興味を持つ機会すら与えられず、現在に至ったのだった。

私が「否定を気にしてしまう」や、「頭が真っ白になる」というこの一連の心の動きは哲学していた、ということでいいのか。
となると、人類皆、哲学マストなのではなかろうか? 稀代の哲学者たちが自分と同様に悩んでいたと知るだけで心のもやりの4割くらいが急に誇らしい気持ちになったので人って簡単である。

誰かの食べたいものを食べ、誰かの良いと言ったものを買い。否定されるより心がラク。
小学生の時に決意したことは今でも覚えている。「先生に気に入られている子の意見を真似しよう」。
その時は人生最良の決断だと確信していた。
あの時の私が生きるために必死に考えて出した答えだったのだが、今になって人生最悪の決断だったと言える。
でもよく頑張った。あんたはあの時愛されたくて必死だった。小さな頭で必死に考えたのだ。

そして私は考えるのをやめた。

身をもって言えるのだが、考えるのをやめることは全然ラクではない。そこには人のせいにするだけの人生が待っている。
「あの人の意見を真似したら否定された。私の意見じゃないのに」
そのくせ「じゃああなたの意見は?」と聞かれたら答えに窮する。
考えることをやめるというのは、癖になって、気づいたら自分の好き嫌いさえもわからなくなって人に託すようになる。
自我の喪失なのだ。

だから、私は私を取り戻すことにした。何色が好きかくらい、言えるようになりたい。
好きと言ってしまった以上、責任がついてくるのが辛いと感じるのは、きっと今までそれを放棄してきたからだ。

こんな年になってしまったけど、好き嫌いに自信を持ちたい。否定されても、これが好きだと言うのだ。そこから議論しようではないか。

この本を読んで以降、私は人と喋りたくて仕方ないのである。会えばさながらインタビューで、質問がとまらない。相手のことが知りたいのである。そして、私はずっと自意識過剰だったんだと気づいた。

相手が喜びそうな意見を探すことは、一見相手をとても思いやっているようにみえて、相手の言葉の奥にある伝えたいことを全然聞いていないのと同然である。
自分が傷つかないことに必死なのだ。
その会話の中で、私という存在の価値はない。喜びそうな意見を言う・言わないではなくて、こちらからも伝えたいことを返したい。だって今目の前にいるこの人は、私に意見を求めてくれているのだから。

考えないことが絶対ダメとは思わない。時には考えないで突っ走っていかなければならないことも、人生には嫌というほどある。ただそういった、道の前後を一瞬で左右するような現場に立った時、自分がどちらを選択するのか、心のど真ん中にある一本のロウソクを灯しておくための準備が、考えるということなのかもしれない。

そんな壮大なことを一冊の本から感じてしまって大げさと思われるかもしれないが、考えてこなかった私の頭には鉄球が飛んできたようなものなので多めに見て欲しい。こうなってしまうとまた新たな試練が待ち受けているのは目に見えている。もう絶対辛い、今までやっていないことをやるなんて。

一方で、それまで見えなかった景色が見えてくるのが楽しみな気がしている。傷付いたらまたどうせ、ぐちぐち考え始めるに決まっている。そしてそのぐちぐちは、もう人のせいではない、自分との対話の始まりなんだろう。

また書きます。

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