いつも通りの特別な一日

おおみそか。

今朝Eテレで放送のトーマスを録画しておく。朝ごはんのうどんを子供に食べさせながら観る。エドワードの存在に心があたたまる。うどんの麺とつゆ以外食べてくれないまま終わる。

外遊びをする。干してあった犬のぬいぐるみを抱っこして歩いてて可愛い。その後引きずられて汚れる。苛々して八つ当たりする。

公園へ行く。おにぎりを食べながら見知らぬ子供のラジコンカーを眺める。動かず人間観察ばかりしてるので体が冷える。

引き上げて車でパンを食べる。ごきげん。笑わせて動画を撮る。

コインランドリーで洗濯物が乾く間に行き交う車を眺める。自動ドアを一生懸命に手動で閉めようとしてて可愛い。

買い物へ行く。年越しなんて日付が変わるだけだと思いつつ買い過ぎる。手まり麸が売り切れで花麸も見当たらないのでしぶしぶ生麩にする。抱っこひもでくっついてるとお互いごきげん。

車に乗る。少し走らせる。子供寝る。停車してnoteを開く。今に至る。

。。。。。。。。。

今年は回復の兆しを感じることの多かった一年だった。

先日、保健師さんと一緒に今年を振り返っていた時に、3月頃は復職や保育園利用のことをギリギリまで悩んでいたね、という話になった。「あの頃は本当に視野が狭くなってた」と言う私に、「狭くなってる中でも、先のことを見通してたんだと思う」と言ってくれた。職場に近い保育園を選んだ点などを挙げながら、今思い返すとそう感じる、と。

それなら、今の私の行動も未来へ繋げるためのものなんだと思えるから嬉しい。繋がるのは当たり前なんだけどね。その当たり前をすぐ忘れてしまうから、思い出させてくれる人がいて嬉しい。

そして今年最後の日に、大好きな子供の元気な笑顔が見れて嬉しい。いつも通り怒って泣く姿が見れて嬉しい。いくつも飛んでくる小さな困難を今日もなんとかできて嬉しい。

私の場合、特別な日をいつも通りに過ごすことで、幸せを多めに感じることができるんだと知った。特別な予定を立てて動くこともたぶんできた。でも、どうするか自分に聞いてみたら、必要ないって言われたからやめた。そのおかげで、こんなに満たされた気持ちで大晦日の夜を過ごしてる。正直な気持ちをおしえてくれた自分にありがとうを言った。

私はこんなにも変われたから、「人は変われるよ」と言うことができる。これが今年の一番の収穫。来年は、「幸せってこういうことだよ」と言えるようになるために、どっしりとゆるがない幸せを心に持つ人になりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?