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「好き」に必要なこと

コーヒーが好きだ。

香りがいい。

リラックスできる。

味も好きだ。

目も覚める。

だけど、この豆がいいだとか、飲んでこれはどこの豆だとかはわからない。

家で飲む時はいつもお湯を注ぐだけ。

お店で飲む時はブレンドコーヒー、ドリップコーヒー、基本はメニューの上に書いてあるもの。

スタバで「AとBどちらにされますか?」という質問に対しては混乱する。
こだわりはない。
優しい店員さんだから「あの~、どう違うんですかねぇ😓」なんて質問する自分にも丁寧に答えてくれるが、結局こだわりはないからその時の直感で選択する。

そうだな、こだわってみたい。深く知ってみたい。
豆を挽くとか、飲み比べとか、楽しんでみたい。

しかし、そう思うだけでお腹は満たされ、行動に移すことはない。
きっかけは待っていても来ないのだろうけど、探しに行くほどでもない。
そんなところだ。

家にあるコーヒーの種類は1つだし、お店にそんな頻繁に行くかと言われればそうでもない。
当然味比べも、香り比べなんかもしたこともないから、毎回同じ、「コーヒーの味・いい香り」で特に違いに気づかない。

それでも、僕はコーヒーが好きなのだ。

好き?と聞かれたら「好き」と答え、嫌い?と聞かれたら「ううん、好き」と答える。

好きだからね。


申し訳ない。随分と、文章のポイントを書くのをもったいぶった。

好きであることに、他者との比較は必要ないと思う。

これが言いたい。

僕よりコーヒー愛が強い人は無数にいて、その人たちより詳しくて愛してやまない人は、また存在する。

確かに、好きな分野で自分より知識や熱量のある人とお話をする機会があった場合、自分なんか…と気が引けてしまう。

僕は色んな場面でその経験をしたことがある。
サッカーでも、読書でも、音楽でも。

でも、自分なりに意見は持ってるし、好きという感覚も持ってる。
だったら「好き」に憧れやリスペクトはあっても、偉い偉くない、賢い賢くない、良い悪いなどの優劣は全く必要ない。そう思っている。

好きという感覚。「それさえあれば」というとまた難しいけど、その感情に、誰かと比較して自分は好きと言えないなんて状況はあまりに残念な話だ。

「好き」に共通の絶対条件なんてないでしょう?

あ、コーヒーの話してましたね。
ミルクお砂糖なし、ブラック派です。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございましたorz


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