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これでいいのだ。

「これでいいや。」

この感情を自分の中に認識すると、私は「歳をとったな」と思う。

考えることは好きな方だ。
深く考える。正解がない問いに対する、自分なりの答えを考え続ける。
この作業、私は嫌いじゃない。

没頭している感覚。
そんな自分に酔ってるだけと言われればそれまでだが。

しかし、考えることには、それなりのエネルギーを要する。

だからなのだと思う。
何がって?

考えることは、疲れる。
「これでいいや」は、それ以上を探さないことだと思う。
疲れることを拒否する感情であるということ。

その際の「これ」は、何においてもそうなのかな。
思考に限らず、結果、成果、現状 etc...。

あくまで私の感覚だが、
「これでいいや」は、「ここまでかな」と自分の可能性に見切りをつけているようにも聞こえるし、言葉の前に(まだその先があることを知っているが、これ以上を求めず)という文章が隠されているようにも思う。

私にとって、上を目指さなくなった自分を認識する瞬間が、歳をとったなと思う瞬間であり、それを示す感情・表現として「これでいいや」があるのかもしれない。

ところがどっこい。常に上を目指すことは。やはりしんどい。
これでいいのだ。そう思うことも大切にしたいものだ。

バカボンのパパだって言っている。「これでいいのだ」と。
あらゆる出来事をそのまま受け入れる。
この考えも、生きる上で物凄く重要で必要だと思う。

今の自分の人生の中に、「これがいい」、「これじゃなきゃダメ」というモノ、コト、ヒトは存在するだろうか。

私は今、「これでいい」から派生して、こんなことを考えている。
それが何か。考えてみれば、それなりにある気がする。
そして、それが「多すぎてしんどい」と自分自身で感じない限り、幸せなのだと思う。



もう書くことはなくなった。

これでいいや。

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