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『少林寺』見た直後の雑記

新宿武蔵野館でリバイバル上映の『少林寺』を見てきた。

『少林寺』公開当時は小学一年生。なので、映画館では見れてなく、テレビ放映かビデオで見たが、正直あまり覚えてない上、そんなに好きではなかった。

大人になった今見て分かった。
たしかに、少林寺拳法は出てくるが、メインはやっぱり「少林寺」というお寺・仏門の世界。
殺生はならぬ、肉食ご法度は日本も中国も変わらない。さらに、少林寺拳法もあくまでも自衛のためで、武道メインではなく、まして復讐だなんてもってのほか、という堅い世界観なんだよね。
まあ、そこの折り合わなさが面白さでもある。

ストーリーは随の時代に悪漢の将軍に支配された村で父を殺され、命からがら逃げた先が少林寺。そこで主人公小虎は少林寺拳法を学ぶために仏門に入る。
そこからは、
・仏門修行
・将軍一味への復讐
・タン師父の娘とのやり取り
・将軍に追われた李を匿う
と、改めて振り返るとわりとエピソードが豊富で、
その合間で少林寺拳法のアクション。
単純なようで仏門と武道や欲との駆け引きがあったり、ラブロマンスあり、しかも李はのちの唐の将軍なので歴史ロマンもある。

そんな中で、ひょんな経緯から犬を殺して食べるシーンがある。それもわりとどうどうと。殺してしまったのはうっかりなんだから、普通にそのまま埋めればいいのに、そこで「食べる」というチョイスは今ならない。一応、仏門の殺生と肉食の罪を問うシーンにもなってるけど、まあ、当時ならではの感覚なのかな。
日本の映画でもいくつか犬を食べるシーンがあるが、いずれもコメディシーンになっていて、『少林寺』の犬食のシーンもコメディの側面がある。

ストーリーは荒削りなようで良く出来てるが、序盤のドキュメンタリー映像と、天安門事件以前のそれほど自由でない中国とイギリス領香港の合作で、音楽センスや仏門の道徳観に当時の中国の真面目さというか、鄧小平時代の共産党の中国っぽさがそこここに感じられる映画だったかな。

ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポー主演のゴールデン・ハーベスト製作の香港映画と比べるとどうしても娯楽度が低いというか、真面目というかぎこちなさが感じられるが、それは中国本土と当時はイギリスの植民地だった香港が初めて共同制作した映画だったかもしれない。

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