旅と人生の記録、まとめてみた(3

旅の面白さはどこにあるのだろうか?

旅は生活のすべてを効率化させ、その日の食べること、泊まるところを完結させなければいけない。

必然的に、生き物としての基本にフォーカスすることになる。
余計なことに煩わされない瞬間を積み重ねていく。
この瞬間が生き物としての本能を刺激して、充実感を生み出すのだろうか?

言えるのは「今を生きる」ことこそが「楽しい」と直結しているということだろう。

まとめは、まだ続きます、、

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仕事は様々な紆余曲折がありながらも順調だった。

真夜中にデザインの出来上がりの確認をしにデザイナーの事務所を訪ねるのは、流行りの職業って感じだったし、麻布のバーに囲碁を教わりに行くのも軽く自転車で、なんて、アーバンライフって言う感じだった。

人を集めての交流会なども頻繁にやっていた。
多いときは100人近く集まる会なども主催していた。
バブルはとっくに去っていたが、まだ余韻があったのかもしれない。

仕事の間にも旅はした。
1996年12月21日から1月7日 韓国から中国に行った。 
東京から青春18切符で福岡まで行き、フェリーで釜山。
列車でソウルに行き、仁川からフェリーで中国の煙台へ着いた。青島から列車のチケットを買いながら南下して、香港まで行き、帰りは飛行機だった。
韓国も中国もまだ「アジア」っていう匂いが濃厚だった。
近代的なビルなんて、まだ駅前にもなかった時代。

行きの陸路にこだわったのは、いつか陸路での世界一周をつなぎたいと思ったからだ。
ヨーロッパからの帰りにシベリア鉄道を使っていれば、簡単に達成されたが、南回りは政情不安な国も多く、今でも難しい。

2000年 6月29日から7月10日 沖縄
日本国内は、ほぼ全国隅々巡っていたが、離島は初めてだった。

沖縄は、友人の写真家の写真展を見るのも一つの目的だった。
彼とは今でも付き合いがあるので、25年来の友人になった。

滞在中は、沖縄中をレンタカーで回った、近くの島にも渡ってみた。
今話題の辺野古にも行った。
たまたま飲んでいて知り合った人が、米軍基地で働いていて、基地に招待してくれたりした。
基地がそんなセキュリティ大丈夫か?と思うが、まだのんきな時代だったのかもしれない。
基地内は日本にあってもアメリカそのものだった。軍人家族は、軍用機で沖縄から本土まで10ドルくらいで帰れるとか、レストランもアメリカのダイナースそのもので、ボウリング場名などもあった。

沖縄からの帰りは、高知に友人が行っていたので、合流。

実は高知も訪れたことはあったが、見て回っていない土地だった。
そこで高知もレンタカーで見て回った。


2001年 3月28日から4月13日 南米。
当時付き合っていた彼女(現在の妻)が、航空会社のエッセイコンテストに入賞し、どこにでも行ける航空券をペアでもらった。

どうせなら一番遠い国に行こうということで、南米に行くことにしたのだ。

ロサンゼルスで乗り継ぎ、サンパウロへ。サンパウロが航空会社の一番遠い就航地だった。約24時間かかった。

その後はチリのリマまで行ってから、ナスカ、マチュピチュ、チチカカ湖、イグアスの滝、ブエノスアイレスなど回った。
セスナでナスカの地上絵を見たり、ワイナピチュ山に登ったり、クスコからボリビアのラパスまでバスで行ったりと、楽しめた。
時間が限られていたので、途中飛行機なども利用したが、ゆっくりしてたら何ヶ月もかかるほど南米は広かった。

今考えてみれば、仕事を全て投げ出して、1年間位、世界一周でもすればよかったと、本当に思う。


2001年 6月25日から7月16日 母とトルコ、エジプト旅行。

母も旅好きだったので、一度バックパッカー的な旅行に連れて行きたかった。

ある程度は安全だけれど、異国的な情緒のある土地ということで、トルコとエジプトを選んだ。

トルコでもエジプトでもローカルな列車とバスを使い、泊まるところは着いてから探すなど、旅らしい旅ができた。

ピラミッドの中に入ったり、カッパドキアではバイクを借りて母を後ろに乗せてドライブしりした。

結構ハードな旅だったが、母は体力的にも精神的にもタフで、楽しんでいた。
考えてみれば、母もまだ64歳だったのだ。自分の今の年齢を考えると、感慨深いものがある。

この旅で母とのいい思い出が出来たが、母は数年前にアルツハイマー病を発症し、認知症になってしまった。
今は老人ホームに入所し、私のこともわかっているのか微妙な感じになってしまった。

この年2001年の9月11日、アメリカで同時多発テロ。
ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が突っ込み、その後崩壊する映像が世界中に流れた。
友人がタイムズスクエア近くでデザイン事務所をしていたので、連絡をとってみると、無事の知らせとともにマンハッタンから逃げる映像が送られてきた。

この事件の後、トルコやエジプトなどでもテロなどが起きて、手軽な国ではなくなってしまった。

後半に続きます。

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シーサン

埋没してしまいがちな記憶を、記録にしてみようとはじめたnote
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