【私小説】僕の映画青春日誌 2
あの時、僕にはたしかに夢があった。
映画という魔力に魅せられて
ただあてもなく右往左往した日々。
冴えない日々が多かったけれど
確かにあの時、青春の中にいた。
でも今は遠い過去のように思える。
このまま靄の中に紛れてしまうのか。
記憶も風に吹かれた砂のように消え失せてしまうのか。
だから僕は今覚えていることを全力で書き記す。
そこには今は忘れてしまった大切な何かが
生きていく上で源泉になる力のようなものが
きっとあったはずだから。
【私小説】僕の映画青春日誌 2
2003年3月
会社を辞めた。
これから3年間、学生に戻る。はずだ。
なぜなら会社を辞めた時、まだ日本映画学校の応募をしたものの
試験もまだで合格もしていなかったから。
なんとかなるはずだ。と何となく思っていた。
それにしても3年間か。365日×3=1095日。
会社勤めだと3連休でも夢のように感じたけれど
これから1095連休と思うと否が応でも開放感が湧いてくる。
ひとまず会社員生活6年間に一区切りをつけたご褒美にマッサージに行く。
全身60分+足裏30分の合計90分の贅沢コースだ。
はぁ、至福の時……。
それから美容室に行き、髪も切って身も心もサッパリ!
姉の家に行き、アパートの保証人になってもらう。
その日は姉宅に泊まり、漫画「ヒカルの碁」20巻を完読してしまった。
翌日、バシャールの本をくれた友人と新宿小田急でお茶をする。
今度は「アミ 小さな宇宙人」という本をもらう。
スピリチュアルで心温まる本だった。
今彼はこの世にいないけれど、いったい何を伝えたかったのだろう。
あの時、僕は自由を感じていた。
これから通うことになる(はずの)日本映画学校のある新百合ヶ丘。
なかなかいい街だ。
妻と見つけた新百合ヶ丘のアパートに契約。
後から振り返ると新百合ヶ丘にある日本映画学校にこの時まだ合格していなかった。今、夫婦で振り返っても不思議でならない。
駅から坂を上り続けて20分だからこそ安い家賃だった。
これから映画と共に生きる自分へのエールを込めて、黒澤明DVDコレクション全作品を10万円で買った。
黒澤明の本「蝦蟇(がま)の油」と「夢は天才である」を読んだ後に、黒澤明の「生きる」を見る。この映画はいまでも私の心の軸になっている。
日本映画学校の筆記試験と課題作文。
作文は「自分が知っている人物について」
会社でお世話になった風変りな先輩のことを書いた。
伝わるだろうか。
翌日は面談だった。子持ちで入学は僕1人のようだ。面談した講師(今村昌平監督の助監督)に「勇気があるね」と言われた。映画への熱を伝えきる。
とにかくこのころ映画をよく見たと思う。
憶えているものを書き出そう。
「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」
「007 ダイ・アナザー・デイ」
「果てしなき欲望」
「楢山節考」
「復讐するは我にあり」
「赤い殺意」
「黒い雨」
「グランドホテル」
古典映画を中心に見つつ、一方で「ヒッチコック 映画術」と「小津安二郎の芸術・完本」という対照的とも思える映画本を読み進めた。
家では生後6か月の息子と戯れる日々。
だっこして、離乳食をあげて、お風呂に入れて、寝かして……
とにかくすべてが愛おしい存在だ。
日本映画学校の合格通知が来た。
気分よく代々木公園に行って露店で買った焼きそばを食べた。
その後、青山にある岡本太郎記念館に行く。マグマのように溢れる渇望。
翌日、ニューシネマワークスにて塚本晋也監督の「六月の蛇」を見て、話を聴いた。雨。蛇。エロス。いい映画だ。
新百合ヶ丘のアパートに引っ越し完了。
ピアノ搬入。ベビーベッド設置。そして脚本を書くパソコンをセット。
この頃に見た「我が家の楽園」は素晴らしい家族の映画だった。
他にもこの頃、アカデミー賞作品映画を中心に見ていた。
「我が道を往く」
「失われた週末」
「キャッチミーイフユーキャン」
「ハムレット」
「姿三四郎」
「サンセット大通り」
区役所に妻と行き、保険、年金、育児医療に関する手続きをする。
3月の終わり。
ぷらっと母校の慶應の日吉校舎に行き、図書館で映画関連書籍を見る。
大学時代はダンスサークルに入っていて縁がなかった映画研究会の部室を覗いてみた。
3人の大学生と軽く言葉を交わしたが何を話したかは覚えていない。でも、彼らは突然の見知らぬ男の来訪にきょとんとしていた気がする。
2003年4月
日本映画学校の入学式。
佐藤忠男校長の挨拶後、今村昌平監督(理事長)の紹介があり、新入生に向け、司会が今村監督の作品数を聴いたので、手を挙げて答えた。
帰り際に今村監督と一言交わした。「よく覚えているね」と言われた。
翌日以降、オリエンテーションの講師紹介や映画史講義、脚本講座などがあった。
ゼミ担任は脚本家の渡辺千明さん。クラスのほとんどは高校卒業後に入学した18歳。10歳の年の差も僕は気にならなかったが、彼らは少し気を遣っているようだった。
息子が熱を出して、数日看病をした。
その間、奨学金を申請した。さすがに貯金を切り崩すだけでは学費と生活費を3年間まかなえない。
学校の授業は楽しかった。
映画史講義では、今村昌平の「果てしなき欲望」、黒澤明の「生きる」と小津安二郎の「東京物語」を見て、佐藤忠男校長の映画史の話をじっくり聴く。深い。面白い。楽しい。幸せだ。
この3作は本当に時代を超えた普遍的な作品。人間を深く書いている。
特に、私にとって「生きる」と「東京物語」の2作は今でも自身の人生観を強く支える作品だ。
映画学校の授業と、自宅での息子と妻との生活がその時の僕の人生のすべてだった。
気づくと4月下旬になっていた。
穏やかな春の日。
公園で妻と息子と春の散歩して、ピクニック。心安らぐひと時。
王禅寺ふるさと公園だったかな。
映画学校では、ここから脚本作成と人間研究というリサーチ発表が始まる。
この家族生活と学校生活の両輪の愛おしさ。
本当に今、生きている。と思った。
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