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『夜と霧【新版】』(ヴィクトール・E・フランクル 著)

【内容】
第二次世界大戦下のナチスの強制収容所に収監されたユダヤ人精神科医が、収容所での自身の体験を書いた本。


【感想】
この本の印象的なエピソードに以下のような描写が登場します。

深夜、男は夢でうなされた隣で寝る隣人を、揺り起こそうと手を伸ばす…しかし、男は思い留まり、手を引っ込める。なぜなら、彼の見ている夢よりも現実の方が余程ましなことを思い出したからだ。

本を読んでいて強烈な映像が喚起されるような作品だと思いながら読んでいました。
そもそも、学生時代から何度か途中まで読んでそのままになっていた本でした。
内容の濃さというか、本の密度(?)というか、体験の濃さみたいなものに当てられ、途中で断念していたということを、読んでいて思い出しました。
新版になって、読みやすくなったこともあり、やっと読了しました。

圧倒的な弱者として存在する他者を前に、正義や正当性、権力といったものを持った人間としてどう暴走していくのか?
また、圧倒的弱者としての立場にある人間がどういう心理状態となっていくのか?

想像するだけでも嫌な気持ちになるようなエピソードのオンパレードですが、本自体は著者自身や周りの環境について、かなり冷静に客観的にが書かれていました。
しかし、それを文章にする作業も相当しんどい作業だったのではないでしょうか。施設内での辛い経験のフラッシュバックの中、書き上げたことを想像すると、それだけでも凄い精神力だったのではないかとも思いました。
読んでいるだけでもこんなにキツいのに、それを書き続ける意思と精神力…
あるいは、こうした過酷な体験を克服のために、この本が書かれたという面もあったのだろうなとも思いました。

また、現在の日本でこんな施設が出来たらどんなことになるんだろうと、ふと想像してみたのですが…
普段目にしたり、ネットなどで見掛ける嫌なニュースを思い出して、アウシュビッツとは違った意味での凄惨なことになるかもしれないと思ったりして…書きたくもないような野卑で凄惨なことが起きるのだろうなあと思ったりしました。
この本は、必ずしも特殊な環境下での特殊な経験談として片付けることの出来ない、日々日常で見聞きしたり、感じたり、体験したりすることの先にある世界という気がしました。
日常の生活の延長として、いつの間に迷い込んでしまうのではないかという、現実と地続きのデストピアというリアリティーが、よりこの本の持つ凄みの一つなのだと…


そういった意味で、そこら辺の自己啓発本の100倍濃縮されたような自己啓発本であるのだとも感じました。
言葉というある種共同幻想の上で成り立つ不思議なものを媒介に、だからこそ様々なイメージや共同体の記憶、なんらならバグのようなものも含め、無数の可能性が広がっているのだなあと感じました。
自らが生死の淵で体験し体感したことを、身を削るように紡ぎ出したものだからこそのパワーだとも思うのですが…
とはいえ、それをドイツ語アルファベットであるアルファベート30文字という記号に落とし込み、再びそれが人々の手に渡り、ある種の追体験をしていくという人類という生き物の営みのダイナミクスというか…
自分のまだ触れていない普通に古典と呼ばれているものの中に、こうしたものが沢山あるという至極当たり前のことを改めて感じ…
古典ちゃんと読みたいなあと思いました。
学生時代から多少は本を読んできましたが、それでもこんな風に説明してくれる大人が近くにいてくれたら、もっと本に対する取り組み方も違っていたのかも知れないと感じたりしました。
というロジックの元になっているのも、先日読んだ『サピエンス全史』や、今読んでいる『ホモデウス』からの影響もあるのですが…


あと灰色の収容所の外側の景色の美しさを、収容所内の人間同士でさかんに語り合っていたというエピソードは、とても印象に残りました。


https://www.msz.co.jp/book/detail/03970/

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