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歌舞伎・演目覚書②『京鹿子娘道成寺』

私が歌舞伎座で初めて観た演目は、玉三郎の歌舞伎舞踊『娘道成寺』だった。憧れはあったものの、まだ、三味線を始める前の話で、結末、鐘供養に訪ねて来た白拍子(しらびょうし)が大蛇に変化し、鐘に取り憑くという程度の知識で、約一時間の演目がスタート。

お坊さんたちのリクエストに応え、烏帽子(えぼし)をつけて現れた白拍子花子(はなこ)が「中啓(ちゅうけい)の舞」でする、ハリセンみたいな形の扇を胸元でグッと握り、鐘を振り返って睨む「鐘見(かねみ)」の形(かた)。それに気づいたかは曖昧だが、その後の「鐘づくし」「手踊り」「鞠唄(まりうた)」、合方あって「花笠踊」、手拭いを使う「くどき」、鞨鼓(かっこ)を持っての「山づくし」、再び「手踊り」、そして「鈴太鼓」が終わり、正体を明かす「鐘入り」のくだりに至るまで、特色のある舞踊の中で、花子の視線が鐘に向く度にゾッとなったのを良く、覚えている。

演劇評論家・渡辺保氏言うところの「妖気を見た」のだ。ちなみに私はここら辺りが舞踊家と歌舞伎役者の違いだと考えていて、玉三郎には玉三郎の、歌右衛門には歌右衛門の妖気があるに違いない。

その後、近所の三味線教室に通い始めた私は、何年後かに『娘道成寺』の稽古に取り組み、奇妙な陶酔感のある曲だと感じた。廓の地名や山の名前。言葉遊びのある、長い長い繰り返しに、無になっていくのだ。

また、長唄舞踊には、歌詞を動きで表現する「当て振り」とそうでない動きがあり、恋心を描いた歌詞が数多くある『娘道成寺』には、娘が髪を洗う様子や、お化粧のシーンが「振り」として登場する。

そして、「当て振り」ではない舞踊に、能のように構えた「舞」と、盆踊りで見るような自由闊達な動きの「踊」があり、『娘道成寺』は最初に「暮染めて鐘や響くらん」で一旦、唄が止み、激しいお囃子のくだりがあって、能の緊張感たっぷりなムードでスタートするので、人間くさい舞踊に変わる、その一瞬の開放感が素晴らしく、ラストが盛り上がる長唄だが、『娘道成寺』の前半を見逃すな! である。

参考文献/マガジンハウス『歌舞伎ナビ』渡辺保

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