そのアイデアに、品はあるか。

僕がまだ広告制作会社に勤めていた頃の話。AD(アートディレクター)の先輩と飲みに行った時に、まあいつものごとく仕事の話になって、こんなことを聞かれた。「うちの会社の個性ってどこだと思う?」と。僕は、少し迷って「みんな面白いアイデアを考えるところですかね」と答えた。しかし、その先輩は「それももちろんあるけど、違うなー。『品』があることだよ」と教えてくれた。

「もし、うちの採用基準があるとするならば、そこだと思うんだ。そして『品』は武器になる。もし今後、違う進路に進む時に、あなたの個性は何ですか?と聞かれたら、アイデアに品があることですと答えたら強いと思うよ」と続けてアドバイスしてくれた。

考えもしなかった。でも確かに、「品」ってものすごく大切だ。この間、若手芸人のコントを観に行ってきた。上から目線で言うのもなんだけど、お笑いの量はそれほどでもなかった。でもそれは想定の範囲内でさして問題ではない。それ以上に、全てのコントではないけれど、「品」に欠ける部分があったのが気になった。怒り芸やちょっと差別的な発言をするコントがあって、でも、怒りも、差別的な発言でも、しっかり笑いに昇華できていれば、きちんと芸になる。でも笑いに到達しないと、たちまち演者と観てる側に距離が生まれてしまい、一気に、引いてしまう。

アイデアや企画、コピーもそうだ。クスッと笑わせたり、面白い!となったりする案には、必ず、その人の目線が介在してなければダメだ。でもその時に、その人が日々考えていることが、必ず投影される。必ずだ。だから、社内外に関わらず、企画やコピーのアイデア出しをするときは、ものすごく恥ずかしいし、ものすごく緊張する。自分の内側がすべて透けて見えてしまうから。で、僕が勤めていた会社内でのアイデア出しでは、下品なアイデアを出すメンバーは一人としていなかったと思い出した。

じゃあ、品ってなんなんだって話なんだけど、裸になったり、下ネタを言ったり、怒ったり、差別的な発言をする。これらをしたからって、単純に「下品」というカテゴリーに括れないというのが難しいところで。なんだろう、きっと「品」とは「分別」があることなんじゃないかなと思ったりするのだ。ここまでは大丈夫だけど、これより一歩先行くとアウトになる。もしくは、わかっているけど、その線をあえて踏み越えてみる。その代わりに新しい考えや価値観を提示できる。その線引きがしっかりわかる人なのではないだろうか。そして、その品の良さというのは日常生活の中で表立ってあらわれるものではなくて、ふとした発言や考え、仕草によって少しだけ姿を表す、また漂う、微妙なものなのだ。

新たなコンテンツの制作のために大切に使わせていただきます。何に使ったかは、noteにてご報告させて頂きます。