見出し画像

"反設計"的な建築の設計

自己紹介の項でも少し触れたのだが、建築家が内装の施工や家具の制作を自ら行うことは、内装施工などの小規模な物でも一般的に建設業界では稀なことである。これが陶器ならば、商品をつくる主体が企業の場合は商品化までに多数の人が関わっていくこともあるし、陶芸家の様に一人の人が構想・設計・制作まで一気通貫する場合もある。しかし、建築は一般的に、設計者と施工者の境目が明確で、設計者の枠を出て制作や施工までもするタイプの建築家は稀である。今回はそのような一般的な認識の中で、なぜ、筆者はわざわざ設計の枠を超えて自ら施工や制作を請け負っているのかについて触れてみたい。

建築をつくる過程では、その設計者でも全体像一度に掴むことはできないので、造形・空間・構成・部分・素材・色味などの検討部分を要素に切り分けて、別々に確認していく。例えば、造形は模型、空間はCG、構成はスケッチ、部分は図面、素材や色味は実物のサンプル、というように。しかしながら、同時にすべての状況を俯瞰する行為は何をつくるにも非常に重要なので、全体像を把握しやすい3DCGを細かく作り込むことが多い。また、建築をつくる過程は、設計から施工という各段階の流れが時間軸に沿って一方行になる。なので、建築の検討過程ではスケールの小さな模型や部分的な実寸のモックアップで具合を確認する。だが、その多くは実物より小さなスケールの物か、マテリアルが欠落している物になる。あらゆる段階の検討で、スケールかマテリアルのどちらかが抽象化されたモデルでしか確認することができない。これは建築設計の歯痒い所でもあるが、新しい発見が入り込む余地のある部分でもある。

このように、建築の検討材料には度々、何か重要な構成要素が欠落している事が多いので、その欠落している要素を想像で埋め合わせる力が必要になる。かっこつけて言うと"目の前にある検討対象を常に疑う力"の様な事なのかもしれない。しかしながら、目の前のCGや図面、模型を疑う行為は設計者にとってはかなりの重荷になるのです。先述のように、建築の過程では後戻りが難しいので、できれば目の前の検討材料が良いものと思いたい、という無意識的な気持ちが働く。平たく言えば、見たくない、臭い物には蓋をしたい、様な反応に近いのかもしれない。

一方で、家具や内装を自ら制作する過程では、実物を合わせて確認することが容易であるし、CGや図面制作の前に実物を作り、そこから得られた情報を元にCGや図面に戻り反映するという時間軸を逆流するような検討が可能になる。この逆流する設計行為を筆者は時間軸に沿って一方行な"設計"に対して"反設計"と呼ぶことにしている。ジョイントなどは仮として、構想やイメージをいきなり実際に組み上げた実物から得る情報は膨大で、多くの場合はそこから逆流して、図面やCGなどを起すような反設計になることが多い。家具や内装を自ら制作する中で、多くの実物に触れて、場合によっては制作を後戻りして、作り直すような反設計の過程を通して、建築の設計過程においても検討材料で欠落する要素をイメージして補完する想像力を磨く事になっていると実感している。ゆえに、これからも作り出す物のクオリティを上げていく為には自主施工や制作は簡単に手放すことができない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?