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ヴィーガンへの建設的議論のすすめ


そもそも、ヴィーガンとは?

 近年、ヴィーガンというライフスタイルが注目されている。ヴィーガンは動物性の食品を食べることをせず、植物性の食品のみによって生活している。若者を中心に、ヴィーガンというライフスタイルを選択している人が増えている。実際に、海外に留学していた時もヴィーガンの人々は多数存在していた。ヴィーガンは19世紀から頭角を表し始め、元々は菜食主義者であるベジタリアンから分岐し、完全な菜食主義者を目指す人々として存在を確立した。確固たる定義が成立したのは20世紀であり、ヴィーガンは人間は動物の接収なしで生きるべきであるとする主義として定義された。

現状の問題点

 だが、現代ではヴィーガンと普通の食生活をする人間との間で対立が起こっている。動物保護を掲げるヴィーガンと肉食を制限されることを拒否する既存の人々で、思想的対立が起こり、互いに理解を拒み無根拠の批判が飛び交っている。また、動物愛護団体による過激な行動も目立っており、両者の対立は深まっている。この対立が激化すれば、無益な行動により人間だけではなく動物や生態系にも被害が及ぶあろう。そのため、両者の主張を理解し、事態を解決することが求められる。本稿では、ヴィーガンと普通の人々の主張を分析し、議論を建設的に進めるための相互理解を促していくのが目的である。

ヴィーガンの主張と分類

 ヴィーガンを選択した理由は大まかに、宗教上、動物保護、環境保全の三種類に分類することができる。本稿では、主に動物保護と環境保全の理由について論じていく。何故なら、近年増えてきたヴィーガンは動物保護と環境保全が理由だからである。近年では、思想の根本が異なるにも関わらず、異なるヴィーガンを同一視して論じる人々が多く見られる(勿論、これはヴィーガンの人々の肉食をする人々に対する意見にも同じことが言える)。根本を理解することで、初めて議論をすることができるだろう。

 では、動物保護的ヴィーガンと環境保全的ヴィーガンの理論を探っていく。

 第一に、動物保護を目的としたヴィーガンは人間は動物を搾取することなく生きるべきだという主義を貫いている人々のことである。ファーに代表される革・皮製品、動物食品や動物実験された薬品などの全ての動物産業から脱却することを目的としている。彼らがこのようなライフスタイルを選択したのは、現状の動物に対する扱いが理由である。彼らの理論の基盤は、動物の権利である。動物の権利とは、基本的な利益を追求する権利を人間と同様に配慮することを指す。動物の権利を支える代表的な根拠は以下の「倫理判断は普遍化可能である」「遺伝的差異自体は差別をする理由にはならない」「動物も人間と同じように苦しむ」「認知能力や契約能力等、動物と人間を区別する道徳的に重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(限界事例=老人、昏睡状態にある人、認知や知能に障がいがある人など)」「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」が存在する。
 現実問題として、動物たちは目をそむけたくなるような扱いを受けているケースが多い。現在、改善ないし廃止されているかもしれないが事例として、「屠畜場での牛や豚などに対する棒で殴り殺す」、「ペットショップで売れ残った動物を人間の都合で生み出したにも関わらず保健所で殺処分される」、「ある実験結果を得体がために動物に肉体的ないし精神的に痛めつける」、「服を作るために毛皮を生きたまま剥ぎ取る」などが挙げられる。彼らはそれらのような扱いの動物を減らすために動物産業の縮小を主張している。 
 しかし、動物保護的ヴィーガンの主張には本能的に受け入れづらい場合がある。人間の多くは、食べる動物と愛でる動物の区別そのものが本能的に行われている場合が大半であるため、その主張の妥当性が判断する以前に切り捨てられる可能性があるからである。

 第二に、環境保全的ヴィーガンは気候変動や地球温暖化を背景に畜産の需要を接収することを避けるということで減らしていくという活動のようなものである。現状は人口が増加することによって、畜産業の需要が増加している。それによって、牛のメタンガス( IPCCの第5次評価報告書によると、その地球温暖化への寄与は同じ量の二酸化炭素の28倍 )や森林伐採によって温室効果が高まっている。国連食糧農業機関(FAO)によると、世界の温室効果ガスの総排出量のうち、畜産業だけで14%を占めると報告されている。また、畜産業は水を大量に使用するため水不足の要因の一つである。牛肉1kgを生産するために使用する水の使用量はトウモロコシの約47倍である。ただし、植物性タンパク質食品との比較ではないため、タンパク質の重要性から妥当な根拠だとは言いづらい。しかし、食糧生産が水の使用量に与える影響はヴィーガン関わらず検討するべきだ。何故なら、いかなる立場を取ろうとも、水は生物にとって重大な資源であり、無駄な浪費は許されないためである。以上の動物産業、特に畜産業が与える影響から、彼らは肉食をやめるように主張している。
 この主張は、とても強力なものである。何故なら、畜産業が我々の地球の環境に悪影響であり、地球温暖化を進めているという根拠は十分にある。そうなれば、我々は将来の世代のためにも畜産業を縮小していく必要性が生まれるからだ。


普通の人の主張(肉食をする人々)

 一方、肉食をする人々のヴィーガンに対する主張はどのようなものがあるだろうか。彼らに対する主張の理由や思想は千差万別である。普通の人の立場を大まかに分けると、個人の自由を重視、栄養学的、逆効果の立場に分けることができる。

 自由を重視する立場の人々を本稿では、自由重視者と呼ぶ。自由重視者は、個人には自由があり、他人が食生活を制限ないし支配することはするべきではないと主張する人々である。このような立場の人々は、ヴィーガンというライフスタイルを選択したこと自体は批判しない。彼らが批判するのは、ヴィーガンというライフスタイルを彼らに押し付けたときである。ヴィーガンが動物性食品を食べないというライフスタイルを選択する自由があるように、自分たちにも動物性食品を食べる自由があると彼らは主張する。
 これは、とても強力な批判である。主に、環境保全的ヴィーガンと対立している。私達は基本的には、人の食生活に異論を挟むことはできない(重大な病気である等を除いて)。何故なら、少なくても日本に住む私たちには、日本国憲法の13条で公共の福祉に反しない限りは人々には自己の幸福を追求する権利があり、肉を食べるという行為も当然そこに含まれる。そのため、通常肉食べるという行為を誰かが制限できるものではない。しかし、持続可能な社会を維持できないとなれば、肉食を制限していく妥当性があると主張することもできるため、深い議論が必要である。

 そして、栄養学的理由を根拠にヴィーガンを批判する人々を栄養学論者と本稿では呼称する。栄養学的論者は、植物性の食品だけ食べていると動物性食品に含まれるビタミンB‐12に代表される栄養素が不足するため、ヴィーガンは健康に悪影響であるとする。
 この主張は、いささか厳しい部分もあるように感じる。人間に必要とされている、5大栄養素の内、ヴィーガン食によって欠乏が危惧されるのは以下のビタミンB-12やビタミンD、カルシウムやオメガ-3脂肪酸、鉄や亜鉛、ミネラルなどである。しかし、特定の植物性食材(例えば海藻類やオリーブオイル)やサプリメント(サプリメントそのものが不健康的であるという意見もあるが)で欠けた栄養素を摂取することができる。勿論、それらの補完的行為で健康に問題がないかを長期的に調べる必要性はあるが、この主張の妥当性は薄れているように思える。

 最後に、ヴィーガンであることは、本来の目的である動物愛護、環境保護に対して逆効果であるとする立場を本稿では逆効果論者とする。例えば、植物を育てるためには多くの動物を殺す必要があるため、植物性食品のみの食生活をする人々を増やしていくことは、動物愛護と最もかけ離れていると指摘する。
 この主張は、是非を判断するための客観的なエビデンスが少ないため議論することが難しい。この主張でよく使われる、具体例の一つは農地拡大である。人類が植物性食品だけを食べるようになったら、より多くの植物を栽培する必要があり、農地拡大により、森林伐採が進み、返って地球環境に悪影響だと。しかし、これには有力な反論がある。ヴィーガン関連のニュースサイトであるVegconomistの記事によれば動物性食品に関連する農業がすべてストップした場合、農地面積を現在の4分の1に縮小できるというデータが存在している。そのため、逆効果論者の主張の妥当性は判断しにくい場合が多い。ただし、繰り返し言うがヴィーガンが環境に逆効果であるかの是非を研究や論文は少ないため、逆効果論者の主張の真の妥当性を判断できるのは将来的な話になるだろう。

最後に

 上記のヴィーガン賛成派と反対派の主張を見て、皆さんも積極的に友人などと議論してほしい。近年のヴィーガンに関する議論は建設的ではない議論がとても多く、過激派ヴィーガンが一方的に主張している場面や、反対派によるヴィーガンの主張を無視した議論などとても建設的だとは言えない。それを防ぐためにも、ヴィーガン賛成派と反対派の主張を理解し、建設的な議論を進めていってほしい。


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