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人間にとって教養とは何か 橋爪大三郎

こんにちは。今日は教養について考えてみたいと思います。
参考文献は橋爪大三郎の「人間にとって教養とは何か」です。
是非ご一読ください。

まえがき 第一章

あり合わせに知識を組み合わせて、現実の問題を解決する知性を、つまり教養を備えていました。

p8

このように教養とは問題可決能力のもとになるものです。

売れていることと正しいことは、別です。売れているもの、トレンドのもの、新しいものを追いかけても、読むべき正しい言論にはたどりつきません。

p22

私たちはトレンドを追いかけてしまいます。教養は本来自分の狭い知識範囲を超えていくためにあります。知識の範囲を広げ、自分以外の社会への関心を持つことです。

この世界には、答えのない問題のほうが、ずうっと多い。

p36

学校では答えの出る問題を教えますが、ふつうは答えのない問題の方が多い。これらの問題に対処する能力が教養ということになります。

過去の「正解」がどんなものか、頭に入れるだけでは不十分だ。
 なぜならそこに書かれているのは、自分より前に生きていた人びとの「一致した意見」なだけであって、今の社会に合うのかどうか、わからないから。

p40

意見の一致という正解は普遍的なものではなく、時代によって変わっていきます。だから常識も変わるということです。常識は今の社会に合うものなのか疑わなければいけません。つまり、自分の頭で考えることが必要です。

世間の人びとが考える通りに、ものを考えるだけでは、自分の人生は切り開けないのです。

p46

世間的な常識や、他人の考えを安易に受け入れてよいのかという問題です。そうすれば楽ですが、自分というものがなくなってしまいます。人は人で私は私。自分の問題を設定して解決策を考えて乗り越えてゆくことが大事です。

本は「自分が知らない」ことを知るための最良のツールです。

p53

教養とは、「これまで人間が考えてきたことのすべて」です。

p61

教養の定義ですが、哲学のことのようでもあります。答えのない問題に直面した時、頼りになるのは人間の知的遺産ということです。でもこのような教養は学校ではあまり教えてくれません。

教養は誰かに「教わる」のではなく、自分で「獲得」しなくてはいけない。教養をどこまで獲得したかによって、問題の解決能力が左右されることになる。つまり教養の有無が、人生の質を決めかねないということ。

p62

学校で教わるのは「知識」であって「教養」ではないということです。教養を身につけるにはやはり読書するしかないように思えます。では何を読んだらよいのでしょう。

いつ役立つのかわからないものを、いつか役立つ日のために、日頃から少しずつ蓄積していくのです。

p64

教養とは、「これまで人間が考えてきたことのすべて」です。何がいつ役立つのかわからないのです。私たちは広い範囲の教養を身に着ける必要があります。個人的には古典的名著から入るのがいいような気がします。

いろんな本を読んでいる人は、著者のバイアスと自分との間に適度な距離感を保ちながら、本を読むことができる。いちいち著者のバイアスにふりまわされず「これはいいな」と思った考え方を、自分の考え方に取り入れることができる。

p70

バイアスというのは偏った考え方のことです。一つの事実であってもその評価となるといろいろな見方があるわけです。一つの考え方を妄信してしまうと周りが見えなくなってしまいます。私とあなたの考えは同じでもいいし、違っていてもいい。いい考えだと納得できれば取り入れればいい。柔軟に考えることが大切です。

ここまでで第一章がおわったところです。教養にはこのような価値があります。その価値を取り込むには、自学するしかないようです。コツコツ積み上げれば、人生の質を高めるといった恩恵が得られるといったところでしょうか。


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