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이창동 박하사탕

この映画は韓国における所謂兵役の犠牲者を描いた、韓国社会の暗部を克明に表現した作品である。それと同時に、ある男の避けようのない運命、宿命についての映画とも言える。

同窓会に男はスーツ姿で突然現れ、そして歌い、叫び、踊り、唐突に走り出し川に飛び込み、さらに鉄道に飛び込み自殺する。

物語は彼の時間軸を逆行していく。
そして逆行するまえに必ず列車が走る映像が挿入される。

過去に遡る、というスタイルは、否応なしに「逃げられない」という印象を齎す。途中下車は許されない。「あの時ああしていれば」という甘さがない。この作品はどこまでもドライで宿命論的である。

登場人物がことあるごとに叫んだり泣いたりするのだが、不思議なことにあまり感傷的ではないのはこのためだろう。むしろ、クスッと笑えてしまうというか(そこがすこし怖い)。

わたしは基本的に韓国映画は苦手だった。
いや、苦手だと「思い込んでいた」のかもしれない。我々日本人にくらべると、彼らはあからさまな表現、エグい表現が多くて怖いししんどいんですね。しかしながら、その偏見をこの映画は一掃した。

たしかに、感情表現はわれわれに比べて過大だ。彼らの様子にはドストエフスキーとかのロシア小説を思わせる大袈裟さがある。しかし、この作品をみているうちにいつの間にか、わたしはこの男に感情移入せざるを得なくなった。近くて遠いこの国の男の気持ちが手に取るように、真に迫ってくるのだ。

私がこの作品をみて似ていると思ったのは村上春樹の「ノルウェイの森」だ。
あの作品も、大人になった主人公が離陸前の航空機の中で過去の学生運動の時代を回想する物語だからだ。歴史的な事件が、一人の男の人生を狂わせる、というのはある種クリシェのようなものかもしれないけど。

本当に大切な女性は他人のものとなり、そして永遠に失うところまで一緒であり、もしかしたら翻案と呼べるのかも?とも思う。しかしながら、村上にはこのエモーションはない。あくまでもノンポリ的な、所謂感傷的なノスタルジーが「ノルウェイの森」にはある。モラトリアム的とすらいえるかもしれない。しかしながら、「ペパーミントキャンディ」はもっとラディカルかつ人間臭い。

そこにはやはり「兵役」というものが彼らの人生に重くのしかかっているのだ。彼らにとってそれが現実なのだし、モラトリアムなどありえない。「ノルウェイの森」に足りなかったのはこの肉体の実感なのかもしれない。

結局彼のノイローゼの原因は、光州事件でのある出来事が発端であると描かれるのだが。描写や演出にもとても説得力があった。

「ノルウェイの森」を読んだ時に、優れた作品であると同時に「本当にこれでいいのか?」という気持ちが湧いたのも事実だ。あの作品はおそらく村上自身の過去への自己反省的な性格も内包しているのだろう。そこになーんだ、今の俺たちとなんら変わらないではないか、とも感じてしまう。いや、本当にそうだったのだろうけれども。自己憐憫的な性格は否めない。結構ウエットなのだ。

しかしペパーミントキャンディは安易な同情を寄せ付けない。過去に向かってひたすら悲惨さを冷徹に描写し、「前進」し続ける...これはすごい。回想ではない。起こっていることは、まさにイマなのだ。だって列車は前進し続けてるのだから..(前進しているように見えた列車が、実は逆行してることが最後にわかる。この演出は意図的だろう)。

戦争に行ったことのない私でも、キムヨンホ氏の慟哭が本当に痛み入ったし理解できた。いや、本当には理解はできてないにしても、「理解したい」と思わせるものがあった。

キムヨンホ氏が「戻りたい」と絶叫した世界が、あんなにも無邪気なものであることに心の底が冷え込むような哀しみを感じた。優れた映画は実感を齎してくれる。感情としての実感だ。それは映画を観終わった後もずっとずっと腹の中をぐるぐる駆け巡るのだ。

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