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【映画】考察『スペースマン』~惑星ソラリスの系譜~

Netflixオリジナル作品の『スペースマン』が配信開始となりました。SF映画の金字塔『惑星ソラリス』と比較することで、この作品の魅力に迫りたいと思います。




監督・脚本・出演・あらすじ


監督:ヨハン・レンク
脚本:コルビー・デイ
原作:ヤロスラフ・カルファー
出演者:アダム・サンドラー、キャリー・マリガン、ポール・ダノ、クナル・ネイヤー、レナ・オリン、イザベラ・ロッセリーニほか

あらすじ
太陽系の果てにたった独りで送られた宇宙飛行士ヤクブ(アダム・サンドラー)は調査任務を始めて半年、地球に戻る頃には妻レンカ(キャリー・マリガン)との夫婦関係が終わりを迎えてしまうのではないかと不安に駆られる。関係を修復しようと必死になるヤクブは、宇宙船に潜んでいた太古の謎の生物ハヌーシュに手を差し伸べられる。手遅れになる前に、ヤクブはハヌーシュの力を借り、何が間違っていたのかを見つけようと奮闘する。

スペースマン - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画より

考察を試みずとも、この作品がアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』を意識しているのは一見して明らかであろう。というのも、両作には類似したカットがしばしば観られるからだ。例えば本作の後半で川の水草を映すカットが入るが、これは『惑星ソラリス』の序盤のカットと酷似している。そもそも同じSF映画(特に宇宙空間を舞台とする)で水草というモチーフが被ること自体、偶然とは言い難い。終盤の草原のレンカと車を映すカットも、モチーフや画面の色合いという点でタルコフスキー作品を彷彿とさせる。
ここでは『スペースマン』と『惑星ソラリス』を比較することで際立つ『スペースマン』の魅力に迫りたい。


『惑星ソラリス』(1972年製作の映画)

共通点:テーマ設定


両作品に共通する点として、まずはテーマ設定の一致が挙げられる。いずれも主人公は宇宙空間というスケールの大きい空間にありながら、テーマとしては夫婦という極めてプライベートな、社会における最小単位の集団を取り扱っている。
『スペースマン』の主人公ヤクブは、自身の野心を優先して妻を蔑ろにしていることに負い目を感じている。他方『惑星ソラリス』の主人公クリスは、自身の妻の自殺に対し負い目を感じている。ヤクブは、その負い目の中で自身の父に対する屈折した思いも抱えているのに対し、クリスは母への複雑な思いを秘めており、どちらの主人公にもパートナーのみならず自身の肉親に対する問題も内在している。
無限の宇宙の彼方に向かう身体(外側への移動)に対し、自己を根底から縛る罪悪感と向き合う心情(内側への移動)。そのコントラストが、彼らのトラウマの深刻さを際立たせている。
その意味で『スペースマン』はやはり『惑星ソラリス』の系譜にある映画と言えそうだ。しかしそれぞれの物語で構造は大きく異なり、それが両者を異なる結末へと導いていく。



相違点:ストーリー展開の構造


『惑星ソラリス』は、ソラリスという惑星の干渉によって生み出された妻の姿や、それと向き合う自分自身との対話を通じて話が進行される。主人公クリスが思う人間は、誰一人として現世にはいない。一方『スペースマン』は、地球外生命体ハヌーシュが見せる記憶等をたどりながら、ハヌーシュとの対話を通して話が進行する。主人公ヤクブが思う人間のうち、妻はまだ存命である。外部からの影響で自己との対話を行うという点は同じだが、拠り所となる人間の生存の有無が異なっているのである。この設定の違いが、両作品最後の決定的な相違点につながっている。
『惑星ソラリス』は、タルコフスキーの映画でしばしば描かれがちな”人類の普遍愛”を描いていると言われる一方で、結末としては主人公はソラリスが生み出す幻想内に生きることを選ぶ。つまり主人公は、自身のトラウマを正面から向き合い解消することを選ぶのではなく、逃避することを選択する。ある種の人間の弱い部分を描いている。
一方で『スペースマン』は、哲学的なテーマというよりは、あくまでも一組の夫婦の再生の”始まり”を描いているといった結末である。ヤクブは、作中時間で実際に妻と対面することはないものの、正面から向き合うことを選択し、そしてそれを克服しようと努める。
つまり『惑星ソラリス』では大事な人を失った悲しみを乗り越えることができず、幻想の世界で自身を慰めることを選ぶのに対し、『スペースマン』では、生きがいとなる人物はまだ存命であり、トラウマへ向き合うことを選択し、やり直しの糸口をつかむ。
これは、ハヌーシュの「だが、お前の”終わり”はここではないのかもな。(中略)そのようだ、だが希望も感じている。おまえ自身とレンカに」にも表れるように、希望の物語である。相手が生きていれば、たとえ怖くても向き合うことでやり直しができるかもしれないという、『惑星ソラリス』とは逆の希望の物語と言える。
ここにこの作品の魅力があると言えるのではないか。



まとめ

『スペースマン』は、私生活で苦悩を抱える主人公が宇宙で自己と向き合うという点で『惑星ソラリス』との類似点を持ちつつも、最後は希望を感じさせる物語であった。登場する地球外生命体も最初は正直気持ち悪いが、次第にかわいらしさを感じさせる。コメディ的シーンは少なく、ともすると退屈になりがちな作品だが、(『惑星ソラリス』はその点、とても退屈な映画でもある笑)ハヌーシュのビジュアル(そして繰り返される”skinny human…”)が良いアクセントとなっている。どちらが作品として優れているかを論じるつもりはないが、『スペースマン』は、結末含めて『惑星ソラリス』より見やすい映画になっていると思われる。

ちなみに『スペースマン』の話の構造だけ見ると、ブラットピット主演のSF映画『アド・アストラ』(2019年)とも少し似ている。『アド・アストラ』の主人公もまたパートナーとの関係性に問題を抱えている。そして広大な宇宙を探求し、自身と向き合っていくという点で類似点を見出せる。ただしこの映画は、妻(ひいては他人)との関係構築に問題を抱える原因となる、父との問題により重きが描かれている。『スペースマン』がどれくらい『アド・アストラ』を意識しているかは不明である(構図等の類似点を見いだせていない)ため、これ以上の言及は避けるが、もしSF映画で系譜を作るとすれば、極めて近いところに位置しているのではないか(少なくとも同じ太陽系には位置していそうだ)。

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