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論理を学び、経験を積み、言語化する

昨日は、「役に立つ」より「意味がある」として、人や組織には物語や世界観をまとわせることで差別化ができるという話を書きました。理屈より直観、スキルよりセンス。これからの時代は前者より後者が大事だと、そう理解できると思います。そしてそれは半分は正しくて半分は間違い。

論理と感覚は、「同じ土俵で戦わせない」ことが大事です。具体的にどちらがいいかという軸でぶつけると往々にして論理が勝ってしまいます。ある目的やビジョンを達成するために、スキルが果たすべき領域と、センスが果たすべき領域があり、その仕訳が欠かせません。

誰かが新しいことをしたり、組織が新しいことを始めたり。そんな時「なぜそれをするのか?」を問われることは必至です。理屈で「再現性」が確保でき、感覚は共感によって育まれるという回答は、正解といえば正解だし、そうじゃないと言えばその理由は納得感があります。どれだけ正論を言っても、世論から受け入れられなければ売れません。一方、理屈はむちゃくちゃでも売れる商品やサービスはたくさんあります。

のちに偉大なことを成し遂げる起業家も、最初は必ずバカにされているようです。それでも彼らは決してあきらめません。それは「他の人には見えていない」ものが見えているからです。ボトルネックは「説明能力の弱さ」 再現性は科学の世界なので「論理的」に説明可能です。ところが創造性はそうはいきません。

イノベーションは、組織の倦怠感によって生まれた「余白」を誰かが指摘することによって起こります。古いやり方、非効率な社会に飽き飽きしている人の勇気と行動によって引き起こされます。対するは抵抗勢力で、前例を守り、改善に葛藤を覚えて戦う人です。そう、イノベーションは、飽きを満たしてくれる、心もえたぎる余白を指摘する人と抵抗勢力が共存した世界で起きるのです。

そして共存を可能にするのは「説明能力」 もう一歩手前では「コミュニケーション能力」も求められます。仲良くなるチカラ、好かれる愛嬌の良さ、懐に入る強かさ。他者との「場」を温めて、その次に共感を引き出す「言葉」を持ち合わせているかが問われます。科学で論理的に説明できない、数の論理でも説明がつかない「自分の感覚」

感覚、つまりセンスは直接的には育てられませんが、だけど育ちます。文脈に埋め込まれた、その人に固有の因果論理の総体。平たく言えば引き出しの多さです。周囲の人でセンスが良さそうな人を見つけ、捕まえて観察し、そして盗む、見破る。なぜその人はそのときにそうするのか、「なぜ」をいちいち考えることです。これを繰り返すうちに、自分と比較してどう違うのか、自分だったらどうするかを考えるようになる。その過程で「言葉」が養われ、説明能力が身についていくはずです。

冒頭でも書いたとおり、センスだけでは経営はうまくいきませんし、スキルだけでも成果は得られません。ですがどこからどこまでがスキルの領域で、どこからがセンスなのか、その境界線を見極められることも見落とすことのできないポイント。言うまでもなく、論理を学ばなければ境界線は見えてきませんし、経験を積んでセンスを養わなければセンスの大事さも理解できないでしょう。

論理を学び、経験を積み、丁寧に言語化を重ねて少しずつ。万に一人の天才以外、自分の描いた世界を達成させるために必要不可欠な3つの構成要素を今一度心に留めて日々、精進していこうと思いました。

久保大輔




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