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たとえわずかでも前進した自分を日々感じる

思い込み」が根拠のない自信になって、自信を持って発言したり行動したりできるようになります。打席に立つ回数が増えれば必然的に、そして偶然にヒットが出ることもあります。そんな「成功体験」が、人をその気にさせてさらに行動が促進、以下同じサイクルで、この繰り返しが人を成長へと導くんだと思います。

ですがときに思い込みは、捨てた方がいい場合があります。妙なこだわりを捨てて人の意見を聞くようになると、「考えもしなかった」ことがたくさん出てきます。思い込みという曇りがなくなるから、世界がどんどんクリアになっていく。努力すべき方向性も明らかになってきます。

数か月、もしくは1年くらい続けた努力。それでも思うような結果が出なければ「どうやら自分の考えは間違っていたようだ」と潔く認めざるをえないでしょう。結果が出ていないのに、それでも自分が正しいと思うのであればそれは、本気ではない可能性もあります。

本気で成長したい、強くなりたいと思わないと思い込みはなかなか捨てられません。大きな失敗をしたり、長い間トンネルを抜けられない経験によって、ようやく自分の気持ちをリセットできるようになるんだと思います。そして本気になれたとき、素直に「人の意見に耳を傾けられる」ときが訪れるはずです。

矛盾しているかもしれませんが、他者の意見を聞いて、徹頭徹尾それに習うだけでは成長は鈍化していきます。聞くことと「行動すること」 血が通った経験には説得力があります。他者からもらった「正解」より、経験によってしかえられない「含み」のような部分にこそ成長のヒントが隠されています。

他者の意見から距離を置いて自分で行動することは、とはいえ難しい。不安になるからです。他者がやっていることと同じであればその逆、安心感がもたらされます。安心や不安が、正しい分析を曇らせることがあるんです。

勝負は客観的な理。不安や安心とはまったく無関係に存在する「人間の真理」にこそ、強さや成長につながるきっかけがあります。評価してもらえないかもしれない、行動することによって得られた小さな成長をどれだけ意識できるかも大切。自分のやっていることは誰よりも自分が評価しなければなりません。成長に対する感受性を上げるためにも、新しい発見は毎日メモして、言語化して、成長を確認する作業をしたいものです。

周囲がどうであれ、たとえわずかでも昨日の自分より前進があるという実感。その事実を肯定することにためらう理由はないと思われます。

久保大輔




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