見出し画像

片山杜秀『11人の考える日本人』についてのメモー柳田国男は有能な組織者だったのか?

 最近、片山杜秀『11人の考える日本人 吉田松陰から丸山眞男まで』(文春新書、2023年)を読み進めている。この本は以下の近代日本の思想家11名を論じているが、この中に柳田国男も取り上げられている。

吉田松陰
福沢諭吉
岡倉天心
北一輝
美濃部達吉
和辻哲郎
河上肇
小林秀雄
柳田国男
西田幾多郎
丸山眞男

 個人的に、吉田松陰、和辻哲郎、河上肇、小林秀雄もおもしろかったが、今回の記事では柳田について論じたいので割愛させていただく。

 片山は、柳田の民俗学を「「日本人の諦め方」「不条理に耐えていく知恵」の採集と分析」と指摘しており、この点はおもしろかった。この文章の中で個人的に考えさせられたのは、以下の部分である。

(柳田は)日本に帰ってきてからは官僚を退き、朝日新聞の論説委員をつとめつつ、たくさんの研究会、サークル、雑誌を立ち上げて全国各地に民俗学ネットワークを張り巡らせます。各地の会員、郷土史家から昔話、方言、言い伝えの事例がどんどん集まってくる。それを整理してどんどん本を書きます。/こうした研究システムの構築には、官僚としての経験が色濃く反映していました。(中略)柳田の腕のふるいどころは膨大なデータを整理すること、処理することだった。これを民俗学に応用していたのです。(後略)

P188~189

 ここでは、柳田が民俗学のネットワークを構築した組織力、それにより各地域から多くの情報が柳田のもとに集まってくるようになったことが述べられている。この部分は、しばしば柳田の組織を運営する手腕を評価したり、中央(研究者)/地域(採集者)の収奪構造を批判したりする際に引用される。そのため、私も読んだことがあり、あまりめずらしいものではないが、改めて考えさせられた。

 上記のような引用では、各地域の情報を集めるためのネットワークの構築が柳田個人の仕事であり、柳田の特権であるかのように紹介されている。しかしながら、私はこのネットワークは柳田特有のものではなく、民俗学成立期特有のものであると考えている。柳田が民俗学を成立させようとする動きと並行して各地域で小さな民俗学雑誌(もしくは土俗を主題とした趣味誌)が多く発行されていたが、これらの雑誌にも全国各地から投稿が寄せられた。たとえば、私が調査趣味誌『深夜の調べ』第1号に総目次を投稿した加賀紫水の『土の香』、橘正一の『方言と土俗』、宮本常一『口承文学』、本山桂川の『土の鈴』などである。拙noteでもこれらの雑誌について度々言及しているので、以下に参考記事を掲載しておきたい。

 これらの例から分かるのは、地域で発行されていた小さな雑誌も柳田と比較して情報量で劣っていたとしても各地域の情報を集積することができた点であり、この点は柳田の特権ではなかったことである。これは小さな雑誌も民俗学の研究ネットワークに接続されており、このネットワークは必ずしも柳田に依存したものではなかった可能性があると言えるだろう。また、このネットワークは中央(研究者)/地域(採集者)という垂直構造という面だけでなく、地域ー地域の水平な面も持っていたとも言えるだろう。

 以上から、民俗学の研究ネットワークの検討は柳田の成果という観点だけでなく、柳田は形成されつつあったネットワークに参加したという観点も必要ではないだろうかと私は考えている。一方で、柳田の役割を過小評価するのもよくないだろう。柳田の発行していた『郷土研究』、各地域の「比較」を重視するという考え、方言周圏説などが与えた影響は別の検討課題である。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。