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記憶術の二つの原理──建築の論理学と寓意の修辞学

 伝説によれば古代ギリシアの詩人シモニデスに起源をもつとされる記憶術では、まず一つの建物を思い浮かべ、ついでその建物の部屋や柱や窓や階段などに、憶えておくべき事柄をあらわす寓意的イメージを順に配置していく。こうして古代人は、ことあるごとに必要とされた弁論や演説の機会に、想像上の建物を頭のなかで歩き回りながら、そこに飾られたイメージを心の眼で見て、順次、話すべき論点を思い出していったという。冗長な方法に思えるかもしれないが、現代人にとっての目次やフローチャートやインフォグラフィクスに似ていると言えるだろうか。想像上であれ紙面上であれ、人間は空間的配列ということをしないかぎり、さほど多くのことを記憶も想起も思考もできないのかもしれない。

 古代ギリシア生まれのこの記憶術は、古代ローマの弁論術から中世ヨーロッパのスコラ学へ、さらにルネサンスの自然哲学にまで受け継がれていく。しかも中世にヨーロッパがキリスト教社会になると、記憶術は、説教や講義ばかりか、寓意画や教会建築という現実の空間を組織するようにもなっていった。美徳と悪徳の擬人像が戦いを繰り広げている絵画、一つ一つ異なる色合いの窓や大理石板が整然と並んだ通路──。キリスト教にとっては、言葉は教え諭し、図像は思い出させるためのものだ。いわば社会的記憶の役割をになう視覚的造形物は、記憶術の想像上の建物と寓意を現実に展開し、人々の思考と行動の指針を可視化していった。記憶術とは、言説と知識を整え、考えるべき事柄となすべき行為を視覚的に示すための重要な方法だったのである。その後、ルネサンスに物語画と遠近法という別の原理が登場したことによって、記憶術は、ルネサンスにおける隆盛とは裏腹に、徐々に衰退していく。それでも、過去の絵画や建築がいまなお現在の人々の心を打つとすれば、気づかぬうちに記憶術が生き延びていることもありうる。

 とはいえ、そもそも建築と寓意を使って記憶を視覚的に構造化するとは、どういうことだろうか。実のところ記憶術は、二つの異なる原理の混合物である。すなわち、「場所の構築」(建築)と「イメージの構成」(寓意)の二つの原理だ。第一の場所の構成の原理は、記憶を整理するための枠組をつくるものであり、いわば論理学に近しい。住居によって生活の仕方が変わるように、思い描く建築しだいで記憶を配置できる順序も数量も変わる。建築の間取りが記憶の全体的秩序になるのだ。第二のイメージの構成の原理は、記憶しておく内容を要約するものであり、いうなれば修辞学に等しい。話すべき論点をひとことの見出しに要約するように、記憶を寓意的イメージに要約して建築のなかに飾るわけだが、それは見る人に強い印象を与え、他とはっきり区別される特徴をもつことが望ましい。観者の眼を捉え、その心を揺さぶるイメージの力こそが、必要に応じて記憶を適切に思い出させるのである。

 こうした建築の論理学と寓意の修辞学の混合物である記憶術は、古代の弁論術から中世のスコラ学をへてルネサンスのプラトン主義へ、言論の組織化から知識の体系化に観者への作用まで、時代ごとに驚くほど異なった様相を見せる。現実の建築が、そこに来て住まう人々の関心や興味にあわせて多彩に使われ飾られるように、記憶術も、アーカイヴのように記憶の網羅的な保管につながることもあれば、エンサイクロペディアのように体系的な整理を目指すこともあり、アトラスのように発見的な探索につうじるときもある。建築と寓意によって記憶を整理することの利点は、なによりもこうした使い勝手の良さ、建物のなかを移動しながら、あちらを飾り立て、こちらを片付け、そのつど新たに組み替えていけるところだろう。建物そのものの増築や改築もできる。

 こうしてみると、記憶術から見えてくる「記憶」なるものは、なにか保存されているものではない。記憶とは操作だ。想像上であれ現実上であれ、多彩に飾られた建築のなかを移動すること、それが記憶そのものだろう。記憶術はルネサンスに最後の隆盛を見せて衰退していくが、それは実のところ、ルネサンスがこうした操作としての記憶のありようを人間の知の根本に据えて、もはや特殊な技術ではなくしてしまったからだ。忘れられていた古典が発掘され、知られていなかった新世界が発見され、もはや地球が世界の中心ではなくなり、厖大な新しい経験が既存の書物の権威を圧倒してしまう──そのように世界が拡大する時代にあって記憶とは、移動し探索する実践そのものだったのである。もし世界の拡大がいまだおわっていないとすれば、記憶の移動もまたつづけられるべきものに違いない。*1

*1 岡本源太「記憶術の二つの原理──建築の論理学と寓意の修辞学」、『THE BOX OF MEMORY ── Yukio Fujimoto』展カタログ、KYOTO ART HOSTEL kumagusuku、2015年、20-25頁。