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憲法記念日によせて・なぜ日本人は、プライドだけ無駄に高いのか

ウクライナの戦争で、防衛論が盛り上がっていますね。
血気盛んな人々は、日本もウカウカしていると
ウクライナと同じような目に遭うのだと必死です。

もちろん、その可能性だってあるでしょう。
どんな可能性も100%否定することはできませんからね。

でも、私はなぜそんなに「日本に攻めてくる!」と思い込むのかが、
よくわからないんですよ。
なぜなら「日本にそんな価値があると思えないから」です。

ロシアがなぜウクライナを攻めたのか、ということは、
プーチン視点に立った様々な考察がされていますね。
良い悪いは別として、彼には彼なりの理由がある、ということです。
もちろん、どんな理由があったとしても戦争は肯定されませんが。

世界には様々な国があります。
そのどの二国を取り出したとしても、その関係は様々で、
「同じ関係」というものはありません。

それは人間同士でも同じことです。
例えば、クラスメートでも会社の同僚でもいいですが、
全ての人に対して「あなたと二人だけの関係性」を本気で問われたら、
「無関係」という場合以外は
すべてちがう力学が作用していると気づくでしょう。

なので、「日本も同じ目に合う」という意見は
「私は思考停止しています」と自ら発言しているのと同じである、
ということは、まず前提として理解すべきだと思うんですね。

日本とアメリカの関係、日本とロシアの関係、
日本と中国の関係、日本と韓国の関係、日本と北朝鮮の関係、
日本とトルコの関係、日本とカナダの関係、
日本とツバルの関係、全部ちがうのです。

もちろんロシアとウクライナの関係だって、
同じことが言えるはずですよね。
それまで両国間に何があったのか。
不味いことがあったなら、加害側と被害側でも印象や忘却はちがいます。
そういう人間臭い条件を前提とした上で、
改めて私たちは、私たちの国、日本を見つめてみるべきです。
外国からみると、日本はどういう意味があって、
どのように人類にとって必要な存在なのか、ということを。

外国が日本に攻めてくることがあるとしましょう。
そこには何らかの理由があるはずだと思うんですね。
さて、それは一体何でしょうか?

「外国が攻めてくる!」と言ってそれを恐れたり、
それに備えるべきというなら、いったい誰がどんな目的で攻めてくるのか、
ということを本気で考えるべきだと思うんです。

そうでないと、「すべての可能性に備える」という
人間にとって絶対に不可能な領域の話になってしまうからです。

日本は、なぜ攻められるのですか?
他国にとって、戦争してでもぶんどりたい日本の何か、とは、
いったいなんでしょうか?

あなたは、それを持っていますか?

戦争の原因となる理由の中でもメインにあるものが「資源」ですよね。
「食料」もその中のひとつかも知れません。
しかし、この日本という国は「エネルギー」と「食料」のほとんどを
輸入に頼っている国です。
残念ながら、日本を占領しても、
フィジカルに得られるものはなさそうです。
これは同時に、外国の存在がもっとも必要なのは日本の方なのだ、
ということを表していることだと思います。

ひとくちに「戦争」と言っても、
世の中には他国と戦争しても大丈夫な国と、
そうでない国があるってことですね。
先の戦争で外国に遠征した日本兵の多くの死因が
「餓死」だったことは知られていますが、
もし次に同じことをしたとしても、
それは起こるでしょうね。食べ物と燃料がない国ですから。
その問題は今のところ解決されていないのです。

食料もエネルギーもないとしたら、何が欲しいのでしょう。
少し前なら「技術」ということがあったかも知れないし、
今でも少しはそれが残っているかも知れないですが、
今の世界の中で日本がリードしている分野というのは非常に少なく、
外国人が戦争をしてまで奪ってきたいものとは考えにくい。

技術というのは、イコール「人材」という意味ですが、
今、世界で活躍している日本人なんていません。
ここでいう活躍とは大谷翔平選手のような意味ではなくて、
その人がいることで「人類の何かに影響する」というような人です。

もちろんゼロじゃないと思いますが、
国家同士の戦争をしてまで、ではないでしょう。

経済力、というものもあるかも知れないですが、
経済力というのはその国をぶっつぶした段階で同時に潰れますから、
やはりそれもちがうでしょう。

では、日本人をひっ捕らえて奴隷にしますか?
まぁ、本当に戦争になってしまえば日本人をひっ捕らえるだろうし、
中には奴隷のような目に遭わされる人もいるかも知れません。
シベリア抑留のように。
でも、そうすることが「目的」ではないでしょう。

そうやって考えていくと、今の日本人には
戦争をしてまでぶんどりたいというほどの魅力が全然ない、
ということに気づきます。

ただし地政学上、ということになると、あるかも知れないですね。
まず、海の権益があります。日本を支配することができれば、
その海域を自分のものにすることができて
(もちろん国際社会がそれを許せば、です)、
海産物などについてはいろいろ手に入るかも知れません。

それと、日本列島のことをかつて中曽根康弘が
「不沈空母」と言ったように、
太平洋を挟んだアメリカから見たときに、
日本はアジアの大陸に張り付いた最前線の基地に最適なんですね。

日本列島が存在しなかったとしても、
米軍が日本がある海域にずっと空母艦隊を置いておけたら、
戦略的な意味はまったくちがうでしょう。

そういう意味で、アメリカにとって日本は位置的にとても重要なのです。

・・・ということは、アメリカがそこにいるのが嫌な国々にとっては、
日本という場所をとってしまって
アメリカが日本に入ってこられないようにできたら、
かなり安心なのではないか?とは思えます。

ここから想像ができるのは、日本は戦争に負けて以来、
アメリカとの分かち難い上下関係を結ぶことによって
大陸の舳先に米軍基地を置く、という役割を担ってきたので、
そこからアメリカがいなくなった瞬間に、
もういちどアメリカに入ってこられることを望まない国々によって
占拠される、という可能性や、
そのような力学が働く可能性は否定はできないでしょう。

しかし、それは同時に、日本は地政学的にはアメリカにとって
どうしても必要な場所にある、ということでもあるんですね。
椅子取りゲームだということです。

日本という椅子にアメリカが座ってしまったことで、
軍事的な価値が生まれている。
アメリカがどけば、二度とそこにアメリカを座らせたくない、
という感情や力学が働く。

時間は戻せないですから、アメリカがどいてしまったら、
結構危ない、とは言えるかも知れないですね。

こうやって考えていくと、日本という国はアメリカにとって、
人間的にはまったく不要だけれど、
地政学的には必要な存在だと言える気がしています。

ついでに言えば、世界にとっても、人間としては必要ないと思います。
日本人がいなければ困る、という国はほとんどないんじゃないかな。

それらを総合すると、
まず、予想外にアメリカは日本を守るだろう、ということ。
アメリカにとっての日本と、
ロシアや中国にとっての日本は意味がちがっているのですから。

つぎに、日本に核兵器が配備されたら、
それはウクライナがNATOに入るのと同様の脅威を大陸側に与えるので、
そうなる前に日本が危険にさらされるかも知れないですね。

日本は核を持つべきでないし、そんな動きもすべきじゃないのです。
国連の敵国条項もありますしね。

では、日本が自分の国を守るというのはどういうことを意味しているのか、というと、
食料とエネルギーを他国に依存している以上、
日本は世界のどこで戦争があっても
国民生活になんらかの不安が生じる可能性があり、
日本ほど世界が平和でなければ生きていけない国はない、ということです。

世界から孤立した瞬間に日本は終わります。

今は経済大国時代の余波でまだ虚勢を張っていられるけれど、
世界のどことも対立してはいけないというのが、日本の運命なのです。
海辺に原発もたくさん並べてしまっていますしね。

日本は平和憲法を掲げた平和主義国家であるということが、
ここで非常に重要なことなのだと気づくのではないでしょうか。

どうせどこかと本気の戦争になったら、日本は勝てませんしね。
戦争で勝って生き残ったところで、
国際協調がないなら日本は終わりますから。

ということで、日本は自分の国をことさらに誇ったり、
よそから狙われる、と騒ぐ前に、
人類にとって必要な国家になることを考え、行動すべきだと思います。

その点から日本ができることは、平和主義と人道主義でしょうね。
それしかないと思います。

そういうブランディングと、実際の行動によって、
「日本は攻めてはいけない国だ」という位置につく以外、自分の力で自国を守れないのでしょう。
他国から「人として尊敬される国」になる以外、安寧はないのです。

無駄なプライドは、嫌われ者になる以外の効果がありません。
それより、世界中から好かれるように「善業を正しく行う国」であることが
日本にとって必要なことだし、そうできない政治家の皆さんには
御退場に願うということでいいように感じています。

過信ではない自信を持てるように、
虚勢ではなく本当に自らを誇れるために、
日本はに大変化が必要だと思います。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、
世界各国に対して演説をしていますが、
その国の事情や国民感情に合わせた内容にしていますね。

日本に対しては非常に抑制の効いた演説でした。
恐らく「日本は9条を掲げる誇り高い平和国家だ」という
認識があったのでは?と想像します。
だからヘルメットや防弾チョッキなど、
殺傷能力がなく、命を守るための道具しか支援しなかった、ということも、
平和国家としてのプレゼンスは高めているはずなんですね。

だからこそ、軍事物資を送ってくれた国への感謝の中に、
日本がなかったのだと思います。
感謝の気持ちがないのではなく、
日本をそのリストの中に入れてはいけない、という配慮だと思うんですね。

それなのに「感謝しろ」と要求している場合ではないのです。
これ以上、恥ずかしい国にならないように、
国民は襟を正すべきだと思います。

世界に誇るべき平和憲法の前文に書いてあるように。

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