⑧ 「自然と身についてくる」ものをさらに高める

「自然と身についてくる」ものには語彙やコミュニケーションスキルなどがあるでしょう。このマガジンにおいては、それを思考(思考したものを表現することも含める)に絞って述べていきます。
私は、人間の思考の在り方は「物語的思考」と「論理的思考」の二つに分かれるという立場をとっています(J・ブルーナーの考えを基にしています)。
児童たちは、言葉が話せるようになってから、自分の言いたいこと(思ったことや主張したいこと)を言葉を使って表現してきました。この表現においては、自然と「物語的思考」か「論理的思考」を使ってきたことになります。つまり、自分の言いたいことを「物語として伝えるか」「論理的に伝えるか」を選択し、「物語の思考の枠組み」か「論理的な思考の枠組み」を用いて表現してきているのです。(そうでなければ、ただ叫んでいる状態に過ぎません。)
この二つの思考は「自然と身についてくる」ものです。つまり、無意識のうちに身につけ使い分けてきたものとなります。国語科においては、この二つの思考の在り方を明確に指導し、それを意図的・計画的、かつ効果的に活用できるような能力を育成していくことになります。日本語を用いた思考・表現の在り方の学び直しのための教育ともいえるでしょう。
小・中・高の国語科の教科書を思い出してください。教科書は、大きく「文学(物語)教材」と「説明文(論理教材)」に分かれていたことが思い出されるでしょう。「文学(物語)教材」では、⑥で示した解釈の幅の広い「文学の言語」を教えるとともに、今回示した「物語的思考」の在り方を教えるのです。「説明文(論理)教材」では、一義的な「論理の言葉」を教えるとともに「論理的思考」の在り方を教えることになります。だから、教科書には二種類の教材が掲載されているのです。
そして、国語科の授業おいては、この「物語的思考」と「論理的思考」について指導する時間がメインとなります(表現の時間目も含めると、全体の70%以上にはなるでしょう)。ですから、②で示した1年生の『大きなかぶ』では、指導時間7時間のうち4時間くらいは「物語的思考」について指導していく必要があったのです。劇をやったり道徳的なお話をする時間はなかったことになります。
では、「物語的思考」とはどのようなものでしょうか。教材レベルで具体的に説明したものを、マガジン「小学校の国語科の授業 物語編」で示しましたのでお読みください。「論理的思考」については、マガジン「論理的思考・表現の在り方」で示しましたのでお読みください(教材レベルにおいては、マガジン「小学校の国語の授業 説明文編」に示しました)。
よりよく思考できるということは、よりよく生きていけるということです。教育基本法で定められた教育の目的である「人格の形成」に直結するものとなります。また、国語科の学びは他教科授業を受けることができる前提と述べてきましたが、特に「論理的思考」についての理解がその中で最も重要なものとなってきます。このことも忘れてはいけません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?