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LIFE IS JOURNEY【人生を旅する家族】

久しぶりの投稿です。
前回までとは関係のないものになりますが
書きたいことを書いていこうと思います。

今日、10月15日。
15歳になる息子が北海道へと旅立った。
とはいっても3泊4日の旅である。

一人旅ではなく、「ひょんなことから」と言えばそうで
「なるべくして」と言えばそう…。
そんな関係で知り合った獣医さんと二人で行っている。
(この辺りはまたいずれ詳しく書きたい…)

旅を決めるまでにその先生に会ったのは
たった2回。
それも1年と少し前のこと。

病院とは全く違う場所で久しぶりに再会し
その場で北海道行きを決めてきた。

その後、出発までの間、何度か先生にお会いし
無事、今日の出発を迎えた。
そして、今しがた「ホテルについた」とビデオ電話がかかってきた。

15歳の息子はホームスクーリングをしているので
学校へは行かず、常に自分の好奇心を大切に生活してもらっている。
その為、この話を聞いた時も親も無論反対などせず2つ返事である。

「そりゃあ、もう行っといで!」と。
(ほぼほぼ本人が決めてきていたけれど…)

さてじゃあいったい何のために先生と北海道に行くのか。
決して海の幸を楽しみに慰安旅行へ行くのではない。

先生の目的は「ヒグマの撮影」「シマフクロウの撮影」である。

ある意味、旬ではある。

こうなってくると、行かせるかどうか躊躇われる?
いや、いや、そんなわけはない。

「ますます行ってこい!」と息子の背を押すわけだ。

他の投稿を少し見て頂ければ分かるように
息子は自然環境にまつわることにとても興味を持っている。
将来的にはそういった方面で自分の命の使い用を考えているようだ。
野生動物についても強い興味があり
クマについても以前から話題にあがっていた。

そうともなれば私たちは親として迷うことなく
GOサインを出す。
すぐに飛行機を探す。
宿を探す。
それから予算を立てる。
15のお祝い旅行だな、と浮かれる。
そして、そのままの勢いで今日、送り出した。

私なんかは、これは願ってもない吉報で
めちゃくちゃ嬉しかったのだ。

ただ、その一方でよくよく考えると
私たちがとったここまでの行動は
私たちとしては「シンプルに筋が通っている」のだが
ごく一般的に現代社会を生きる人たちにとっては
いささか「理解に苦しむ行為」とも、言えるのかもしれないと思った。
特にわが子のこととなると
みな、目の色を変えて我が事のように夢中に(ムキに?)なる印象がある。

2回しかあったことのない獣医さん。
齢、恐らく70歳を超えている。
最果ての地で、一人で個人ホテル泊。
(一人旅は先月金沢で体験済では、ある)
先生から念のため「熊スプレー」は
事前に宿へ送っておくようにと言われる。
(クマと遭遇した時に使うスプレーの存在をはじめて知る)
ここのところよく悲惨なニュースも耳にする。
今回は先生から初めてだから同じ飛行機で動こう、と
ご配慮いただきLCCを利用せず、セントレアからフルANA。
その他もろもろ含め20万円近い。
突然の大型出費だ。

ナーバスに考えようと思えばいくらでも、いける。
そういう条件下のように感じる。

それでも、そういうすべてのナーバス案件を
私たちは相手にしないことにしている。

なぜなら
「LIFE IS JOURNEY」なのだ。
人生は旅である。

旅とは。
旅とは…旅行とはなんか違う。

旅行の慰安的、観光的なものとは違い

旅は

「何かを求めそこへ足を運び
何を感じとる。
そして人生にもたらすものも
心の度量で決まる。
だから旅は旅する人の
心の在り方次第」

そんな風に感じる。

だからライフイズトラベルではない。
長い目で見てライフイズジャーニーなんではないか、と思う。

実はこれは私たちのバイブルでもある一冊の本のタイトル。
その本を出会った頃、夫にもプレゼントしている。

言ってみれば名言集だ。
ひとつひとつの言葉に説明はないし、とても短い。
私はこの本に書かれている言葉を、とてもとても愛している。

全ての言葉を覚えたわけではないし
時々は何カ月も開かないこともあるが
折に触れて、私はこの本を開く。

この本を手に取ったころ
私は人生に苦しみ、生き方を迷い、泣くも出来ず彷徨っていた。
そしてこの本と出会い一つずつの言葉に大きく励まされ
一歩ずつ歩みを変えていった。

そして、今がある。

昨日、出発前の息子を前にして嬉しくて
久しぶりに本を開いた。

驚くことに、私は今まるでここに書いてある生き方をしている。

日々忘れずに!と言葉を意識したわけではない。

少しずつ歩みを変えるきっかけをもらい
自らの実感を重ねながら
それを続けてきた私の人生はあの本を手に取ったことろとは
大きく変わっていたのだ。
そしてこの本にある言葉のように生きていると感じることができた。

私は人生を旅している。

私は、自分の心の中をよく聴いて、見て
美しいものを美しいと思える感性と
受け入れられないものを拒否する素直さと
何事も「失敗という価値観」にしないという信念と
分からないからこそ、やってみるというチャレンジ精神と
絶えず考え学ぶという向上心を持って生きている。

一度きりの人生を悔やみたくはないのだ。

それは当然、ホームスクーリングという
子供たちの学びの形にも影響している。

そして、見知らぬ場所へを息子を送り出すという選択を瞬時にする。

息子自身
「明日死んでも構わない」精神を身に付けつつある。
(もちろん親も子も生きて帰ってきてもらいたいのは当然ではある)

息子の人生だって一度きりなのだ。

他人の意見に惑わされてはいけない。
親であれだ。
むしろ親こそ黙って、ただその子の選択を応援してやろう。

もしかしたら、私の感覚が大きく影響して
ホームスクーリングという選択をさせたのではないか?
と思う人がいるだろうか。

私には彼の人生の選択に対しての責任は取れない。
息子にもそう言ってある。
その代わり、息子の人生は息子の自由である。

自分の人生を
自由に生きるとは
マイルールに忠実に
自らの行動に責任をもって生きる事だ。

それが出来て、あとは無礼者にさえならなければ
それがわが子であろうと、他者の私がそれを止める理由などないのだ。

実は出がけにすこし不安げな顔を見せた長男。
「これかな?」という言葉を選んで読んで聞かせた。

そして長男は旅のお供としてこの本をバッグへ入れた。
多感な時期を生きる彼にとっても
「Journey」はバイブルになりつつある。

どの言葉が彼の支えになるか。
それはきっと、これから続く旅路の行く先々で変わるのだろう。

「人生は2つの生き方しかない。
奇跡などないように生きるか。
すべてが奇跡であるように生きるか」

最初のページのアインシュタインの言葉である。

その通りだ。




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