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先天性と後天性

 動物には五感が備わっている。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。動物はこれらの感覚器官から得られる情報を整理して、即座に次の行動へ繋げる為の材料とする。
 「霊感」は英語で〝inspiration〟と訳されるが、第六感と呼ばれることもある。英語では〝sixth sense〟と表現され、一九九九年公開のブルース・ウィリスが主演の映画『The Sixth Sense』で同名のタイトルが付けられたことでも有名だ。
 先述の五感に加えて動物に備わっているもう一つの感性、という意味だと思えば解釈し易いが、霊感は、目、耳、鼻、口のように身体的特徴として外観で判定できる器官ではないのが厄介である。
 では触覚はというと、外観では判断できなくても皮膚を抓るなどの直接的接触で反応を図ることは可能だ。
 ちなみに、日本人で霊感を第六感と表現したことで有名なのは、明治時代から昭和にかけて、実業家、自己啓発活動家として活躍し、心身統一法を広めた中村天風である(岬龍一郎『中村天風心を鍛える言葉』PHP研究所、二〇〇五)。

 霊感は五感と比較して個体差が最も生じる感性だと私は考える。つまり、まったく霊的な感性がセンサーとして反応しない人もいれば、逆もまた然りである。これまでの人生で心霊体験とカテゴリーするには大袈裟と思うような、「不思議な体験」程度の出来事ですら、皆が経験するわけではない。ごく一部の人たちが怪異に遭遇するからこそ、私たちは「霊感とは」「霊とは」といった答えがすぐには出ない問題と、楽しく向き合えるのだ。
 よって、「霊感があるかないか」という文言が議論の出発点に据えられてしまうこと自体に私は違和感を抱く。そもそも霊感はすべての動物に備わっており、その能力が強いか弱いか、作動しているか否かの違いに過ぎないのではないだろうか。
 別の感覚器官で例えればわかりやすい。
 職場や学校、友人や知人など、自分が身を置く人間関係を想像してみよう。仮に十人の家族や友人、知人が思い浮かんだとする。その中に一人ぐらいは眼鏡をかけている人、コンタクトレンズを装着している人がいるはずだ。他にも年配の方を想像すれば、聴力が衰えたことで補聴器を付けている場合もある。
 このように日常生活を振り返ってみてもわかるように、第六感以前に、五感でさえも個体による能力差が表れるのだ。

 では動物が生まれてから亡くなるまでの期間で、霊能力のレベルが変化せずに一定なのかと言えば、決してそうではない。体験談を見聞きして、収集している私の経験則や統計的な感覚から判断するしかないが、歳を重ねて感性が衰えたという人もいれば、ある日、何かがきっかけで能力が開花したように不思議な体験をするようになった人もいる。
 もともと感性が鋭くなかった人が、どういうわけか状況が整ったことで、瞬間的に不思議な体験をするが、状況が元に戻れば(具体的にはその場から逃げる、離れるなど)それ以降は何かを感じ取ったりすることはなくなったなど、常に感性が一定の人もいればそうでない人もいるのだろう。

 普段、何気なく生活している状況からさらに神経を研ぎ澄まして集中することを、「オンとオフを切り替える」と表現することがある。
 舞台に向かうタレントや、試合に臨むスポーツ選手などがインタビューでモチベーションについて語るときに、しばしばそのような回答を聞いたりすることもあるだろう。
 私が以前に取材をさせて頂いた沖縄県で土着の霊能者、シャーマンと位置付けられるユタ(男性はトキという)の一人は、「オンとオフで使い分けるため体力、気力を消耗する」という趣旨のお話をされていた。
 パソコンや携帯電話の画面を長時間見続けていれば、目が疲れたり肩が凝ったりする。重ねての記述になるが、もし仮に、霊感が感覚器官の一つとして動物に備わっているのであれば、その他の感覚器官と同じように「消耗して疲れる」ということも不思議ではない。

 私は「霊感が弱い」。しかし、そんな私でも、これから先の人生で不思議な体験をするかもしれない。その時の状況に共通点があるのか、まったくないのか、身をもって統計を採るつもりで、今後も怪異を訪ねてみたい。

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