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違和感をもっと、異物をあちこちにくれ

「表現の不自由展」が大変なことになっていますが、そんな中、ツイッターを見ていたらふと、この展示に関したツイートで「政治要素のある作品はダメだと教えられている」という美大生のツイートを見かけてびっくりしました。美大で?先生が??

政治の話はアウトなのか

日本では「政治と宗教の話はやめた方がいい」とよく言います(私はその考え方は嫌いですが)。でも創作って、失敗したりトラブルになったり、経験を通して自分にとってちょうど良い温度を探っていくものだと思うのです。その結果、諦めるという選択肢も含め、やってみないとわかりません。
心も体も、大人よりずっとしなやかな10代の学生に「政治的=社会に対する意識」を表現するな、と言うのは、その子の可能性や思考の芽をつむことと同じように感じました。

表現する範囲を狭めることは、読み取ることのできる範囲を狭めることでもあります。
自分の価値観や物差しは、好きな作品や良い作品以外だけでなく、嫌いな作品も知り、その違和感の正体を考えることで研ぎ澄まされていくものです。それは、作品制作に限らず、日々の生活にも同じことが言えるでしょう。相容れない相手と会い、好きになれない場所を知ることで、好きな人、好きな場所が見えてくる…というのはよくありますよね。

常識=人生ではない

トラブルになりがちな要素を避けていけば、確かに進学や就職には良いかもしれません。でも、人生はそれだけではない。もし学校を辞めたら?もし仕事を変えなければいけなくなったら?そういう人に出会ったら…?
人生を通して必要なものって、常識やあらかじめ敷かれたレールにぴったり添う事ではなく、ぴったり添うかどうかも含めて自分の頭で考えることじゃないでしょうか。誰かが敷いたレールなんて、いつ歪んだり消えたりするかわからないのですから。

と、進学や就職に異議を唱えてみましたが、私は大学に行っていません。高校も途中でやめています。健康上の理由とはいえ、専門的な学習をしてこなかった事に対する後悔は多少ありますが、それでも、自分にとってベストな方法を頭と行動でこねくり回して生きてきた事は全然後悔していません。もしかしてこの先で後悔するかもしれないけど、そしたらまた、そこから考えれば良いのです。

異物をもっとくれ!

こうしてヒートアップしてみたとはいえ、先述のツイートの学生がどういう経緯でどういう学部に行っているかまではわかりません。アートかデザインかでも事情は変わってくるでしょうし、大人、子供問わず「とにかく就職しないと先がない」という状況にある場合、今ここで書いているような事は共感されづらいだろうと思います。
けれど、今の社会はどうにも「誰かが敷いたレールから外れるな」「右へ倣える子になってね」という風潮が強い。私にはそれは呪いの言葉であるように感じられてなりません。あらかじめ敷いたレールに沿って歩く人ばかりだったら、社会は進歩しないでしょう。そのレールの作り方、外れた先の歩き方を考える人がいてこそ、未来へ進んでいけるのです。

私は子供がいないし、子供と接する場面も少ないし、直接子供と出会う機会はあまりありません。でも「右に倣わないって手もあるぜ〜」「うまくいかなくても、その先を生きられるんだぜ〜」というのを、バカみたいにずっと言って生きる大人でいたいです。それは、大人としてあまり褒められた態度ではないかもしれませんが、今のきれいきれいな世の中で、私一人ズレてても大した影響はないはずなので、これからも堂々とズレていようと思います。

必要なのは違和感なんです。そのために異物がいるのです。違和感の正体に目をこらすことでしか見えてこないものが、世の中にはとてもたくさんあるのです。

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おまけ

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