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私の身体にやどる別人格について

 ふだん何気なく利用している自分の身体に、もうひとつ人格があることは知っていた。知っていたけれど、あえて揉める必要もないのでこれまで無視してきた。しかし、いよいよ我慢ならない。そいつを追い出すときが来た。私は決別するのだ。己を巣くう、「満腹時の怠惰な人格」と。

生産性ゼロの抜け殻

 私には2つの人格がある。いまこの文章を書いているのは「空腹な私」だ。これは当然のことで、「満腹な私」に文章など書けるはずがない。なぜならヤツは恐ろしいほどナマケモノだからだ。ティッシュを取りに行くのが面倒くさいと言っては、トレーナーで鼻水を拭いていつも袖がカピカピになっているし、ライターを探すのが手間だとほざいては、ガスコンロを着火してやけどのリスクにさらされながら煙草に火をつける。

 こういった迷惑行為を、私はかねてから止めてほしいと思っていた。しかし生命を脅かすほどの害があるわけではなく、また、私が干渉しようがない世界で起こっている出来事なので見て見ぬフリをしてきた。しかし、である。先日私は気づいたのだ。「満腹な私」が働かないせいで、「空腹な私」の仕事量が1.8倍ほど増えていることに。

ご飯ぐらい炊いとけ!

 私ともう1つの人格は、だいたい日に3~4回入れ替わる。

・起床~朝食    空腹な私①
・朝食~11時頃  満腹な私①
・11時頃~昼食  空腹な私②
・昼食~15時頃  満腹な私②
・15時頃~夕食  空腹な私③
・夕食~23時頃  満腹な私③
・23時頃~就寝  空腹な私④   

 上のような感じだ。

 つまり、現在の私は「空腹な私③」である。私はいま、このnoteと併行してさまざまな仕事をこなしている。それは別にビジネスに関してだけではなく、皿洗いや洗濯、日用品の買い出しなど、時間をとられる諸々の家事仕事も含まれる。

 なぜこの「空腹な私③」がすべてやらなければいけないのか。それは、「満腹な私①」と「満腹な私②」が、何もかも投げ出して寝転がっていたからである。ヤツらは正味5時間ほどのフリータイムがあったにも関わらず、ただ煙草を吸い、飯を食い、ユーチューブを観て、昼寝して、美味しいおやつを食べていただけなのだ。

 結局、そのしわ寄せが私に来ている。私は生まれてから今まで、満腹になったことがない。なぜなら私は空腹時にのみ現れる人格だからだ。「あ~お腹いっぱい」と言ってうたた寝したこともないし、最高に美味いと噂の、ラーメンを食べた後の煙草も吸ったことがない。これでは不公平じゃないか。

 また、ヤツは仕事をしない、家事をしない、お腹いっぱい、の常時シアワセ状態であるはずなのに、陰でいつも頑張っている私を思いやってくれない。せめて、ほんの少しだけヤル気を出し、白米を研いでお釜にセットしておいてくれるだけで夕方の私は助かるのに、それすらもしてくれない。私はヤツから人格が切り替わった瞬間からずっと空腹なのに、ヤツが食べるためのご飯を炊いてあげなければならない。こんな不平等が許されるのだろうか。

会えないから叱ることもできない

 この地獄の構図を生んでいるのは、「人格は同時出現できない」という制約のせいだろう。だからヤツは甘えている。「どうせ俺がやらなくたって、空腹のアイツが頑張ってくれるでしょ(笑)」と、今もどこかの世界でのうのうと鼻毛を抜いているに違いない。まったく許せない話である。目の前にいればバットで殴ってやることも可能なのに、悲しいかな、ヤツは私の内側に存在している。触れることができないのだ。

 ヤツが出てきたら私は消える。私が出ればヤツが消える。日勤と夜勤の作業員のような関係。せめて私に夜勤手当がもらえれば我慢できるが、むしろ手当をもらっているのはヤツだろう。なぜならヤツは、出現した瞬間からお腹いっぱいなのである。しかも働かなくていい。不労所得でウッハウハ。来世はぜったいに、「満腹な私」の人格として生まれ変わりたい。

妙案が浮かび上がる

 そんな感じで最近、イライラしていた私に(空腹のせいではない)、突然ナイスアイデアが舞い降りた。

「…待てよ。ヤツが私を出現させないためには、延々と食事をとり続けなければいけないので非現実的だが、私がヤツを出現させないことは、あんがい簡単なんじゃないだろうか」

 これはいい考えだと思った。要するに、「お腹いっぱい」食べなければいいのである。そうすればヤツは出現しない。私の意識を支配するのは「空腹な私」のみになるので、とうぜん、諸事の作業効率がグンと上がることは必須だった。昔の人はよく言ったものだ。「腹八分目」と。たしかに八分目ならばヤツが現れないので、これはいい作戦だと思った。人生が充実する予感がした。早速ためしてみることにした。

こりゃあええで!

 というわけで、ここ数日のあいだ、私は「お腹いっぱい」食べることをやめた。するとどうだろう、本当にヤツが現れないのである。あの、何をするにも言い訳がましく、怠惰で、ナマケモノで、トレーナーの袖が鼻水でカピカピのあいつに人格を奪われることがなくなったのだ。これはいいと思った。仕事の生産性も高まる。洗い物はたまらないし、ご飯だって食べたいタイミングで炊けている。もっと早く気づけばよかった。「失われた28年間」を取り戻そうと思った。

けれども、ネ…

 しかし今、金曜の夕方になって、私の中でなにかが変わり始めている。「ヤツに会いたい」、もっと言うならば、「私がヤツになりたい」という感情が芽生え始めた。アリの行動を分析すると必ず7:3の割合で働き者:怠け者に分かれるというが、今ならその意味がわかる。きっと世の中には、「役割」が必要なのだ。人間というひとつの肉体の中にも複数の人格が必要で、片方だけ、つまり「満腹な私」「空腹な私」いずれかだと上手くバランスが取れないのだろう。きっとそうに違いない。

 …そうして考えてみると、私が抹消した「満腹な私」は、かつて「空腹な私」として生きていたのかもしれない。ヤツにも私と同じ時期があり、「満腹な私」に嫌気がさしてどこかのタイミングで「満腹な私」を消し去ってしまったのだろう。そしてときが経ち、さみしくなったのだ。ひとつの肉体にひとつの人格だと心細い。それに、ずっと「空腹な私」として生きるのは大変、疲れる、わりに合わない、そんなふうに思い至ったはずである。

 なんだ、じゃあ私も役目を終えていいということか。よし、決めた。私は今日、ドミノピザのLサイズを2枚頼むことにする。チキンナゲットもつける。コーラもがぶがぶ飲む。そしてそのあとは、「満腹な私」として生まれ変わることにしよう。やがて自然発生的に誕生する「空腹な私」にすべてをまかせて、残りはゲートボールで時間をつぶして余生を送ろう。そう決めた。きっと「空腹な私」は怒る。怒って怒って、やがて納得できなくなって、この文章を書いている「私」を殺して、自分が「新・満腹な私」になるのだ。生物の真理を悟った気がした。

 それではさようなら、みなさん。私は今後、筆をとることはありません。あとは次世代の「空腹な私」が引き継ぐので、優しい目で見守ってやってください。私は鼻毛でも抜いておきます。


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